ワン ステップ プログレス 

想いを描いて行動する   ~OSP 自己実現支援研究会~

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「今日のいっぷく」=日曜版



OSPブログ256号 (柿の木サラバ)        2017/4/16




私が今の家に転居したのが9年前でした。

以前の家にはもう少し広めの庭があり、実のなる木々もキュウイ、アケビ、
グミ、スグリなど、私が幼い頃馴染んだものを、子供たちにも触れさせたい

と思い植えたのですが、残念ながらファミコンに夢中の子供たちは寄り付き
ませんでした。 



今の家に転居したとき、実がなる木の中で、柿の木だけは移植して
もらったのです。



これまでも依然の家同様、沢山実らせ私たちの味覚を楽しませてくれて
いたのですが、先日思い切って抜いていただいたのです。



転居するとき、柿の木を低木にしていただいたのですが、幹は太く
しっかり根を張って逞しい木になっていたのです。


私の人生もこのように根がしっかり張ったものでありたい、と思うことも
ありました。



低木の理由は、柿の実は干し柿にもできますのでほとんど食用として生かす
のですが、3~4個は取らずにそのままにしておくのです。


要は家の中から冬の雪景色の中で、木についてる柿の実を見て、
昔の歌人はワビサビを思いめぐらしながら何を感じ取っていたのかなどを
推測しようとするのですから、私も無礼な人間であったかもしれません。



柿の木を抜いた理由は、落葉にあります。


初冬を迎えるころは柿の葉が落ちていきます。

ご存じのように木の葉は、手の平ぐらいの大きさですし、ぬれたときなど
日がさしてキラキラ輝くこともあるにしても、地べたに張り付いた葉は、
いくら掃いても容易に取れません。



また、乾いた葉は、風が吹くと近所の軒先まで浸食し、その都度謝りながら
「うちの葉がお邪魔してしまって」と謝って歩かなければなりません。



それも、隣の家ぐらいであれば、まだしも遠くに飛ばされた葉は、名前を書いて
いないとはいえ、町内の人は私の柿の葉だとすぐ推測できます。



高齢の私です。なかなか葉の処理までは難しくなったのです。


そこで思い切って、長年家族を楽しませてくれたこの木を抜いたのです。


以前の家から数えると、20年近いかもしれない柿の木です。
業者の方にはいい柿の木なので、植採希望の人を探してくださるよう
お願いしたところです。


それにしても、抜いた後はやはり寂しいものがあります。


お世話になったのです。良い思い、楽しい思いもさせて
くれて感謝しているのです。


スカスカになった空間です。


業者が庭のバランスを考えて今度は常緑樹を植えてくれると言っています。

心を豊かにしてくれる樹木を期待しているところです。





最後まで読みいただきありがとうございました。





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「今日のいっぷく」 日曜版



OSPブログ255号  (戸惑い)      2017,4,2



最近時間がありすぎるのか、有効活用が出来ていないのか、怠惰なのかは
自分ながら分からないのですが、TVのワイドショウを見る時間が多くなっています。


朝から一日中ワイドショウかと言いたくなるほど、世界から国内に至るまで
ニュースがたくさん飛び込んできます。


そして、そのワイドショウTV局があえてテーマを探さなくても、提供者が
たくさんおられるということになりそうです。



ワイドショウには評論家からタレントまで、様々な方々が参戦しています。


それを評論する人達はほとんどが「こう思う」などと、自由に推論を言うだけ
ですのでほぼ自由です。


それを見ていると、責任が伴わないのであれば、井戸端会議が得意な方々の
一般人を沢山参加させたらもっと盛り上がるのではないかとさえ思えてきます。



それほど、「井戸端会議にも耐えうるニュース」が多いということになります。




国会中継を見ても、国連やアメリカなど国外を見ても、世の中は昔から
こんなことの日常であったのかとの思ってしまう昨今です。



テロや暗殺、戦争に殺人、はたまた権力者の傲慢や金儲けのなれの果て
などを見ていると、世の中というのは、これが当たり前で、それに違和感を

覚える私自身の感覚がずれてしまったのかと戸惑うのですが、もしそうだと
すれば何をどう考えたらいいのか分からなくなるのです。



歴史は繰り返すというのですが、どの場面も権力争いや、目前の欲が
優先しての争いと見えてしまう私がひねくれているからでしょうか。



結局、人は生まれてから死ぬまで同じ道を歩くということで、歴史から学ぶ
などとは程遠く、いつの時代でもそれぞれの欲を満たそうとすることに
変わりがないのかもしれません。



人にとって「何が一番大事か」と問いかけたら、様々な答えが跳ね返って
きそうな気がします。



その価値観を共有できない限り、今の政治の劣化は防ぎようがない
のかもしれません。



でも、政治を動かすのは構成する国民、市民だと考えると、それぞれが
「何が一番大事か」を真剣に考えるときかもしれないと思うのですが、どうでしょう?



もっとも、国でも地方でも、「大衆の罪」と言われる、いわゆる流される
国民、市民になるのだけは避ける必要がありそうな気がするのですが・・・。





最後まで、お読みいただきありがとうございました





| 時事問題 | 17:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「今日のいっぷく」日曜版




OSPブログ254号(副作用が教えてくれた)        2017.3.12



今日は久し振りで天気がいい。


先週、「おーい、生きてるかぁ?」と電話をくれた高校の同級生。
そして、昨日、ブログの更新がないと心配してくれた中学の同級生から電話を
もらった。
うれしかったです。

抗がん剤をあれこれ、投薬しているけれど、私の肺がんは、びくともしない優れ
ものです。むしろ少しずつ大きくなっているのです。


でも、ここ3日ぐらいは、ベットから起きることが億劫で、一日布団の中でじっと
していました。

不思議です。布団の中ではいくらでも眠れるのです。
そして、寝ているときは苦しくないのです。
それはそうでしょう。意識は夢の中ですから。



でも、目が覚めると、ピクリとも動きたくないのは、若い時からの怠惰の
せいだったからかもしれません。



でも、今日は、天気がいいせいか起きているのです。
相変わらず、食欲がなく、何も欲しくないのは、少し残念ですが、久しぶりに
そうめん食いたいと妻に頼んだら、冬にソーメンかと言いながら、
買ってきてくれましたので、今晩が楽しみです。



医師は、暖かくなれば、身体も動きやすくなるよと言ってくれていますが、
ということはもう少し生きられるということかと期待してしまいます。



苦しい副作用があっても、もう少しやりたいこともあると思っている
私ですので、どこまで進めるかわかりませんが、競争かもしれません。



でも、一年に3.500万もすると言われる薬を投与してくれたにも関わらず、
癌は大きくなってきましたので、薬は、個々人に合うものでなければ効かない
ということだろうと思っています。
保険が効いた薬で助かりました。



今の抗がん剤は、2度投与していますが、貴重なことを学びました。



それは、人は自然に枯れていきますので、いつまでも若い体では
いられないということです。




若い方を見ては、その瞬発力などにうらやましいと思ったものでしたが、
最近は違うのです。



いずれ,枯れていくわけですので、そこに勝ち負けを求めないことに
したのです。


そして、数ある抗がん剤の副作用をすべて受け入れることにしたのです。


昨日はこんな副作用、今日はこうであった、明日はこうなるかもしれないと思うと、
「どれでもいいよ!全部受け入れるよ」と思えるようになったのです。



考えてみると、若い時、なかなか受け入れることが出来ない人や、場面が
沢山あったことを思い出したのです。



どんなことがあっても、理不尽でない事なら、多少の事は受け入れることを
抗がん剤が教えてくれたように思えたのです。



その時、気持ちが大変楽になりました。



生きていくことは、自分の思うようにだけいくとは限りません。
ならば、痛みと共に歩むことも人生と思えるようになったのでしょうか。



病気のことをブログに書くことを躊躇してきましたが、次回から、
私のやり残したことへの挑戦を書ける自分でありたいと願っています。





最後まで、お読みいただきありがとうございました。





| セルフマネジメント | 15:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「今日のいっぷく」日曜版




OSPブログ253号(秋田さきがけ新報社記者に乾杯)



2016年12月13日、秋田さきがけ政経懇話会12月例会が開催され、その内容が
掲載されていました。


ローカル紙ではありますが、秋田県で意識の高い経済人や知識人たちが
会員となって勉強されている懇話会のようですが、

今回は「世界から見た現代日本~政治、社会、メディアを考える」と題し、
元、ニューヨークタイムズ東京支局長であった、「マーティン・ファクラー」さん
のお話しを乗せていたのです。




彼は、阿部内閣が発足して以降、国内メディアの報道姿勢が委縮しているとし、
国境なき記者団が発表している世界各国の「報道の自由度」ランキングで

2010年には11位だった日本が16年には72位まで順位を下げたことに言及
したと言っています。



さらに「特定秘密保護法の成立などを経て、言論の自由は制限されてきた」
とも言われたそうです。




彼は、日本の報道各社が「批判的な記事や政府が意図する内容と
異なる報道をして、情報が得られなくなることを危惧し、政府の言いなりに
なっている」と批判し、政府も協力的なメディアに首相の単独インタビューの
機会を与えるなどメディアの弱みを利用していると指摘したとのことです。





報道に関しては、よく理解できていない私ですが、ただ、最近の政治の
進め方を見ていると、政府の独断もさることながら、報道各社の意識と
報道内容には、情報操作を感じるなど少し切れ味が鈍化しているように
思えていましたので、私の気持ちに合致したように思います。




とりわけ、TVなどは媚びを売るコメンテーターをそろえては、難しい課題でも
国民にあまり考えさせないように内容をスルーさせるよう運んだりしている
ように感じている私です。




そんな時、報道各社には、それなりの見識と信念を基礎に、
世の中の進む方向を間違えないよう国民に注意喚起させる責務があると
思っているのですが、

当事者の一社としてのさきがけ新報社がそのまま批判を記事にしている
のですから、その記事を書いた記者の勇気に敬意を覚えたのです。




もっとも、報道機関に限らず、私には野党の力量不足の責任が一番
重いように感じています。

トランプ氏が独裁になるのではないかとの懸念を持つ人もおられるようですが、
日本は大丈夫なのでしょうか。




世の風潮です。ローカルはローカルで似たような構図に見える各地域です。


全国報道より地方紙の生き方が難しいかもしれませんが、報道批判をキチンと
受け止めようとしているこの記者を是非大事に育ててもらいたいものと思います。




私の考えすぎかもしれませんが、もしかしたら忸怩たる部分を感じているかも
しれないこの記者が、「そんなことない!私がいるよ!」と訴えているようで、
心から頼もしく嬉しく思ったのです。




記者には、今の気持ちを忘れず更に優れたジャーナリストになってくれればと応援せずにはおられない気持ちです。





最後までお読みいただきありがとうございました。



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「今日のいっぷく」 日曜版




OSPブログ252号(ファミレス)    2016/12/25


先日久しぶりにファミレスで昼食をとる機会がありました。


何年振りか分からないほど入ったことのないファミレスでしたが、
若い時を思い出し、懐かしさを感じていました。


店は、ほぼ満席で、親子連れ、女子グループが多く、どこへ行っても
「男は押されっぱなしだなア」と思った次第です。



さて、私も店名は異なるにしても、若い時、子供連れでたまに利用させてもらった
「ファミレス」ですので、品数の多さ、値段のリーズナブルには、随分助かったもの
でした。



外食を喜ぶ子供たちもそれぞれ、好きなものを注文するのですが、
給料の安かったサラリーマンではありながら、ハラハラせずに
利用することが出来ると思ったものでした。



12月はボーナスの季節です。クリスマス、お年玉と親御さんには、
何かと物入りの季節ですが、子どもの喜ぶ顔が見られるこの季節に
ファミレスは大きな存在であるかもしれません。



私の時代とは異なり、今は若い家庭であっても、ファミレスより高級レストランに
行かれる方も多いかもしれませんが、私にとっては、ホッとする場所であったと
思いながら、周囲を見回していました。



家族そろってファミレスで食事をとれるのが至福の時でもあったのです。



安月給時代を思い出します。子供たちが小学生のころ、妻が奮発して
マグロの刺身、「トロ」を買ってきて子供たちに分け与えたことがあるのです。



上の子はそれがうれしくて、その「トロ」を最後に食べようと、
なかなか箸をつけないで我慢していたのです。



その時、私は全く頓着なく、子供の分の「トロ」を食べてしまったのです。
事件になりました。最後の楽しみにしていた「トロ」です。
娘の怒りが収まりません。



「今度買ってきてあげる」などと言う言葉など、まったく受け付けないのです。



今でも、時折笑いながらの話題になりますので、「好きなだけ食べさせてやる」
と言うのですが許してもらえません。

「食い物の恨み」は怖いのです。

私も高齢となりました。今、家には日用品で不備の物はあまりありません。

ほぼ手に入れています。若い時からコツコツと買い求めてきたからこそ、
今の暮らしが成り立っていることを思うと、安月給のサラリーマン時代に、
あきらめたり、我慢したりではあったものの、どうにか暮らしは成り立ってきたの
だと実感します。



10年ぐらい前だったでしょうか。若い女性が100円ショップは大変重宝する
と言ったのを聞いて、「さもありなん」と納得させられたことがあります。



その時、「何が欲しいの?」との私の質問に、「みんな欲しい!」と答えられた
ことを思いだします



「頑張ればだれでも、必要なモノは手に入れられるよ!」、そう言いたくなった
のを今でも覚えています。





最後までお読みいただきありがとうございました





| 雑感 | 10:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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