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想いを描いて行動する   ~OSP 自己実現支援研究会~

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「今日のいっぷく」=日曜版




OSPブログ257号(ソヨゴをご存知ですか?)          2017/4/23



柿の木を抜いた後にと、庭師の方が新しい木を植樹してくれることに
なりました。


先日、庭師の方が植樹の提案をするために、家に電話をかけてきたのです。


受けた妻が、もともと庭師の方にお任せだったのですから、よろしくお願い
しますと言ったそうです。


でも、その後ネットで何か調べているのです。



訳を聞いたら、庭師の方から今度植栽する木が、「ソヨーゴ」だと聞いたけど、
初めて聞く木の種類なので、どんな木なのか調べているというのです。



だけど、一生懸命調べても「ソヨーゴ」では出てこない。もしかして「ソーヨゴ」の
間違いかと思い調べても、それでも出てこない。どうしてなのかと思い悩んで
いるのです。



「今度庭師が来たら聞いてみたらいいよ」、と不満顔の妻を見ながらその場は
収まったのです。


2日後、植栽に現れた庭師に今度は私が直接木の名前を教えてくれるよう
頼んだのです。



口頭で「ソ、ヨ、ゴ」です。というのです。


なるほど、「ソヨーゴ」とも聞こえる口頭説明ですので、私は確認しました。


「3文字のソヨゴですか?」、と聞いたのです。


そしたら、「そうです。ソ、ヨ、ゴ、」です。と答えるのです。



妻に、すぐその旨を伝えました。「ソヨーゴ、でもソーヨゴ」でもない。

「ソヨゴ」の3文字だと言ったら、すぐネットで調べた妻が「あった―」と歓喜の
声です。



伝え方、聞き方の難しさを再認識したところです。


世の中、「言った、言わない」、など巷での会話や取引などの世界に限らず、
詐欺や各種トラブルなどが発生しやすい事例です。



したがって、特に商取引などの場合、書面で証拠を残すようにするのですが、
いかなる場合も出来る限りの確認作業をおろそかにしてはいけないように
思いました。



昨今は国会の場での論戦でも、「言った、言わない」、証拠書類もないなどと
言われているのを見ると、人間社会も大して進歩していないのかもしれないなどと、
思ってしまうのです。



その根底に、若し責任逃れや、思い込みによるものも多いとなると、
もうすでに実施しているかもしれないのですが、小学校の頃から、

算数、国語と同じように、社会生活の根底に関わる「聞き方、伝え方」、程度の
コミュニケーションスキルを徹底して学んでおく必要があるのではないかと思って
しまいます。





最後までお読みいただきありがとうございました。






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| コミュニケーション | 15:47 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「今日のいっぷく」=日曜版



OSPブログ256号 (柿の木サラバ)        2017/4/16




私が今の家に転居したのが9年前でした。

以前の家にはもう少し広めの庭があり、実のなる木々もキュウイ、アケビ、
グミ、スグリなど、私が幼い頃馴染んだものを、子供たちにも触れさせたい

と思い植えたのですが、残念ながらファミコンに夢中の子供たちは寄り付き
ませんでした。 



今の家に転居したとき、実がなる木の中で、柿の木だけは移植して
もらったのです。



これまでも依然の家同様、沢山実らせ私たちの味覚を楽しませてくれて
いたのですが、先日思い切って抜いていただいたのです。



転居するとき、柿の木を低木にしていただいたのですが、幹は太く
しっかり根を張って逞しい木になっていたのです。


私の人生もこのように根がしっかり張ったものでありたい、と思うことも
ありました。



低木の理由は、柿の実は干し柿にもできますのでほとんど食用として生かす
のですが、3~4個は取らずにそのままにしておくのです。


要は家の中から冬の雪景色の中で、木についてる柿の実を見て、
昔の歌人はワビサビを思いめぐらしながら何を感じ取っていたのかなどを
推測しようとするのですから、私も無礼な人間であったかもしれません。



柿の木を抜いた理由は、落葉にあります。


初冬を迎えるころは柿の葉が落ちていきます。

ご存じのように木の葉は、手の平ぐらいの大きさですし、ぬれたときなど
日がさしてキラキラ輝くこともあるにしても、地べたに張り付いた葉は、
いくら掃いても容易に取れません。



また、乾いた葉は、風が吹くと近所の軒先まで浸食し、その都度謝りながら
「うちの葉がお邪魔してしまって」と謝って歩かなければなりません。



それも、隣の家ぐらいであれば、まだしも遠くに飛ばされた葉は、名前を書いて
いないとはいえ、町内の人は私の柿の葉だとすぐ推測できます。



高齢の私です。なかなか葉の処理までは難しくなったのです。


そこで思い切って、長年家族を楽しませてくれたこの木を抜いたのです。


以前の家から数えると、20年近いかもしれない柿の木です。
業者の方にはいい柿の木なので、植採希望の人を探してくださるよう
お願いしたところです。


それにしても、抜いた後はやはり寂しいものがあります。


お世話になったのです。良い思い、楽しい思いもさせて
くれて感謝しているのです。


スカスカになった空間です。


業者が庭のバランスを考えて今度は常緑樹を植えてくれると言っています。

心を豊かにしてくれる樹木を期待しているところです。





最後まで読みいただきありがとうございました。





| 雑感 | 15:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「今日のいっぷく」 日曜版



OSPブログ255号  (戸惑い)      2017,4,2



最近時間がありすぎるのか、有効活用が出来ていないのか、怠惰なのかは
自分ながら分からないのですが、TVのワイドショウを見る時間が多くなっています。


朝から一日中ワイドショウかと言いたくなるほど、世界から国内に至るまで
ニュースがたくさん飛び込んできます。


そして、そのワイドショウTV局があえてテーマを探さなくても、提供者が
たくさんおられるということになりそうです。



ワイドショウには評論家からタレントまで、様々な方々が参戦しています。


それを評論する人達はほとんどが「こう思う」などと、自由に推論を言うだけ
ですのでほぼ自由です。


それを見ていると、責任が伴わないのであれば、井戸端会議が得意な方々の
一般人を沢山参加させたらもっと盛り上がるのではないかとさえ思えてきます。



それほど、「井戸端会議にも耐えうるニュース」が多いということになります。




国会中継を見ても、国連やアメリカなど国外を見ても、世の中は昔から
こんなことの日常であったのかとの思ってしまう昨今です。



テロや暗殺、戦争に殺人、はたまた権力者の傲慢や金儲けのなれの果て
などを見ていると、世の中というのは、これが当たり前で、それに違和感を

覚える私自身の感覚がずれてしまったのかと戸惑うのですが、もしそうだと
すれば何をどう考えたらいいのか分からなくなるのです。



歴史は繰り返すというのですが、どの場面も権力争いや、目前の欲が
優先しての争いと見えてしまう私がひねくれているからでしょうか。



結局、人は生まれてから死ぬまで同じ道を歩くということで、歴史から学ぶ
などとは程遠く、いつの時代でもそれぞれの欲を満たそうとすることに
変わりがないのかもしれません。



人にとって「何が一番大事か」と問いかけたら、様々な答えが跳ね返って
きそうな気がします。



その価値観を共有できない限り、今の政治の劣化は防ぎようがない
のかもしれません。



でも、政治を動かすのは構成する国民、市民だと考えると、それぞれが
「何が一番大事か」を真剣に考えるときかもしれないと思うのですが、どうでしょう?



もっとも、国でも地方でも、「大衆の罪」と言われる、いわゆる流される
国民、市民になるのだけは避ける必要がありそうな気がするのですが・・・。





最後まで、お読みいただきありがとうございました





| 時事問題 | 17:37 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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