ワン ステップ プログレス 

想いを描いて行動する   ~OSP 自己実現支援研究会~

2016年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年07月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

「今日のいっぷく」日曜版


OSPブログ231号(心の洗濯)    2016/6/26



昨日の夜9時過ぎ、コインランドリーの前を通りました。

本を読んでいる人、話し込んでいる人、物思いにふけっている人など、
様々な方が利用していました。


洗濯は、もとより衣類などの汚れを取り、清潔なものによみがえらせるのですが、
私の場合、家族任せですので、私自身、コインランドリーに足を踏み入れることが
ありません。



でも、店舗内が妙に明るいのが印象的で、しばらく外から眺めていました。


 私は、静かに物思いにふけっている若い人が少し、気になりました。
自分の若い時の紆余曲折を思い起こしていたのです。



先日、40代・50代の方々が参加者であった社員研修で、若し今、
昔に戻れるとしたら、幾つぐらいに戻りたいか尋ねたのです。


小学生のころ、10代、20歳前後、30代とマチマチです。


「戻りたい」、と言われた人たちは、これまでの人生経験を踏まえたことを
持ち込んで、戻れれば、過去とは異なる結果を得ることが出来ると思ったかも
しれません。

これまでの経験を活かすとすれば、その気持ちも分かる気がします。

一方、微妙な発言をされた方がいます。
その時代に戻っても、また同じ悩みをするから、戻れても無意味だと言うのです。


その理由は、同じ人間なので、その時とまた同じ行動をするに違いないと
言うのです。


なるほどと、考えさせられました。


「戻りたい人」と「戻りたくない人」、とはどこが違うのだろうと思ってしまいます。



「人生に再版あるならば、私は改訂したい」、
と詩人ジョン・クレアが言ったそうです。


しかし、人生は再版するのが難しかろうと思うのです。


私は、老婆心ながら、コインランドリーの若者や研修の過去に「戻りたい」と
する人達に、衣類の洗濯のついでに、「心の洗濯」をすることで、
新たな道に踏み出してもらいたいと思っています。



それが、観客の世界から、主役の舞台に進んで
行くことになる、第一歩と思っているのです。




最後までお読みいただきありがとうございました。





スポンサーサイト

| セルフマネジメント | 21:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「今日のいっぷく」日曜版




OSPブログ230号(マスコミへの期待)        2016/6/19




友人が言うのです。TVも新聞もつまらなくなった。


政治資金の公私混同疑惑などが問題となった東京都知事が、辞職することが
確実となった途端、潮を引いたように報道量が少なくなった。


確かに、私も、連日、徹底した報道に終始した都知事問題でしたので、
あっけない幕切れで一件落着の感が否めないように感じます。


更に、「要は知事を辞職に追い込めば、報道の役割は済んだと言わんばかりだ。
目的は辞職だったのだろうか?」というのです。


その変わり身の早さに釈然としないというのです。


事実、舛添知事の説明は不十分ですし、辞職してしまえばこれで一件落着と
いうのでは、政治の世界では通用しても、国民、都民は納得出来ることでは
ないと誰もが思います。




しかし、桝添知事も以前は、税金を無駄に使っているとして、役人は勿論、
政治家たちに、その非を指摘してきた事実があります。


その時、彼は、正義感よろしく、心底そう思っていたのかもしれません。



権力を手に入れるということは、人を変えることかもしれません。


世の中には「人格者になっていく変わり方」と、
「卑しくなり下がっていく変わり方」、があるのだと思ってしまいます。




状況が一変し、環境が変わった時、自分の置きどころを、
もう一度確認できる賢い人が公人にはふさわしいということなのかも
しれません。



彼は、学生時代、頭脳明晰で成績も優秀だったそうです。


頭は良かったけれど、賢者ではなかったということでしょうか。


政治家としての資質の問題と切り捨てる人も多い中で、人の育ち方の
難しさを感じます。



「人材不足」とよく言われます。
世の中での課題の複雑・多岐の状況を顧みると、まさに「政治の世界にこそ
人材不足」、と言われる多くの方の言葉もうなずけます。



「初心忘るべからず」。これは政治だけでなく、どの分野にも、
どんな人にも喚起させるための格言です




マスコミの連日の報道も、当初は知事辞職だけを目的にしたのでは
なかったと思います。


確かに税金を公私混同させて、消費した本人は非難されてしかるべきです。




桝添知事の不適切な支出は、本人の思い上がりにあったことは否めませんが、
一方では、それを助長したザル法と言われる「政治資金規正法」にも、
問題がありそうです。 



「ほぼ何に使ってもよく、刑事責任に問われる事がない!」、
と言われるこの規制法を、野放しにできないとするのが、
国民の率直な気持ちではないかと思います。




国民目線を自負するマスコミならば、
次は、「この法の正常化に向けて、渾身の力で取り組む度量を
見せてもらいたい」、と思うのは、私だけの「ないものねだり」でしょうか?






最後までお読みいただきありがとうございました。











| 時事問題 | 18:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「今日のいっぷく」日曜版



OSPブログ229号(心の持久力)  2016/6/12


TVや新聞・雑誌など、「若返り」のための、サプリメントやドリンク、トレーニングに
エステなど、数多くの広告を目にします。


以前は女性向けの広告であったものが、最近は、美肌に脱毛・化粧品と、
男性たちへのアピールもすさまじい限りです。


「若くありたい」。年を重ねて行くにつけ、そう思う機会が増えてきます。


若者と年配者との差が顕著になるのは、体型、体力、瞬発力などに
あるように思います。


しかし、店舗にはあまり年を意識させる衣料品は少ないようで、
「見た目」は、年齢不詳になりやすい洋服を着用している、
マネキンがオンパレードです。



したがって、年配者も、つい年代など関係ないとばかり、「見た目」の
若返りを図ろうと、衣料品売り場に向かいます。


私も、たまに、「若いですねぇ」、などと言われると、「そうかい?」と
まんざらでもない気分になりますので、他愛がないのです。


家でも、「若い時に戻りたい」、と口にするときがあります。


そのとき家族に、「どうしてそう思うの?あなたにも若い時があったでしょう?」、
とたしなめられます。


「ないものねだり」で悶々とするより、今現在をどう生きるかだと言うというのです。



年を重ねることで、足はもつれる、体力はない、思考の速度が鈍るなどに
遭遇すると、動きも俊敏で、はつらつとしていたであったろう若い時に
思いを馳せるのです。


もっとも、若い時は若い時で、悩んだり、苦しんだり、今とは異なる経験も、
たくさんしたことを忘れているのです。 


様々な経験を積むことで得た知恵で、それを取り入れた若い時代に
戻りたいと妄想しているのかもしれません。


しかし、年輪を経た年配者には、年相応の美しさを感じさせる方も
多いように思います。



「先人の言うことに間違いなし」とする、諺に近づいていくことを思えば、
「今をどう生きるか」に、「見た目」より、留意したほうが良いのかもしれません。



これまで生きてこられたからこそ、いま出来ること、いまだから
挑戦出来ることもあるかもしれない


そう思う気持ちを捨ててはならないと思い始めています。



若い時は、今より、身体も元気で、動きも俊敏でした。



でも、年を重ねて得たものもあります。


多くの経験は、若い時の「瞬発力」の代わりに、
「心の持久力」を与えてくれました。


「想いを達成するまで」、「心の持久力」が、導いてくれるように感じています。




「まだ、やれることがある!」。いまそんな気持ちで毎日を過ごしています。





最後までお読みいただきありがとうございました。




| セルフマネジメント | 17:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「今日のいっぷく」 日曜版




OSPブログ228号(戦争のツケは70年に及ぶ)   2016/6/5



 5月26・27日、G7伊勢志摩サミットが開催されました。同時に27日、アメリカの
オババ大統領が現職大統領として初めて、被爆地・広島を訪問し、原爆慰霊碑
に献花、所感を述べられました。

戦後70年を経て、核軍縮を更に推し進めていく決意表明をしております。



先の戦争で、日本軍が真珠湾攻撃をしたことに伴い、多くのアメリカ国民も
命を失っています。


アメリカ国内では、原爆投下が戦争を早期に終わらせたと、
原爆使用を正当化する人が多いと聞きます。


いずれにしても、70年も原爆の後遺症に苦しんでいる日本国民がいる
ことを、米大統領が目の当たりにしたことを、世界でも大きな出来事
として報道されています。



所信表明の中で
「科学は人類に幸せをもたらすだけではない。使い方で不幸にもすることを
忘れてはいけない」
とも言われているようです。



いわば、その科学の間違った使い方をしたのは、政治の世界にあると
いうことに私たちは留意する必要がありそうです。



世界・国・地域、更に個々人にも歴史があります。


考えてみると、どの世界でも、「間違えた歴史のツケ」は、
後々まで禍根を残します。




原爆投下も、もとはといえば戦争です。
戦争がなければ原爆投下もなかったことになります。
その「ツケ」を次の世代も払わされていることになります。



「因果応報」という言葉があり、何事も原因があるから結果があるというの
ですが、いつまでもそのツケを払わされている人々には、
「自分がしたことではないのに!」と言いたくなることもあるかもしれません。


でも、残念ながら、歴史には、良いことばかりではなかったことになります。




「成熟社会」という言葉もあります。響きの良い言葉ですが、アラブなど、
あちこちで今でも戦争状態です。このツケを彼らは、いつまで払うつもりで
いるのでしょうか。



核保有国の脅しや、国力の示威、宗教の正当性、民族の主導権など
争いの種はなくなりません。

これでは「成熟社会」など、あまりに遠すぎます。


また、「成熟社会」のつもりの国内事情を見ても、「政治と金」の問題や、
「平和ボケ」と言われる現象を見ると、何をもって「成熟社会」というのか
さえ分からなくなります。




歴史のツケは戦争に限ったことではありません。

国内政治を見ても、1兆円を超える借金を抱えて、これも次世代に
ツケが回るのではないか、との不安もあります。



財政の行き詰まりは、年金・医療など次世代の社会保障も風前の灯
となるのです。



国際紛争に国内政治、どちらも、大義名分は「国民のため」とされます。

国民の「欲を満たすため」が、
結局は国民にツケが来るという構図になってしまいます。



確かに、私たちも、誰かにツケを払わさせたり、誰かのツケを払っている
ことがあります。



いずれにしても、周囲、地域、日本、世界との、「共存」確保に怠った、
これまでのツケはなるべく早く処理し、次世代には、出来るだけそんな
ツケは残したくないと思うのです。




最後までお読みいただきありがとうございました。



| 時事問題 | 16:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT |