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想いを描いて行動する   ~OSP 自己実現支援研究会~

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「今日のいっぷく」=日曜版



OSPブログ215号(オペラ・カルメンを観て)  2016/2/28



先日、何十年ぶりかでオペラ・カルメンを観ました。もともと音楽、とりわけ

クラッシックについては得意ではなかったのですが大学生のころ、

どういうわけか兄が上野の公会堂で開催されるイタリア歌劇団の

高いチケットをプレゼントしてくれたことがあります。




初めてのオペラでしたが、出演者たちの声量や、舞台のスケールの大きさに

田舎育ちの私は圧倒されていました。

そのころから、少しずつクラッシックやオペラのレコードを集めるようには

なったのですが血は争えません。

20代後半にはジャズにはまり、30半ばには時折訪れるネオン街で

カラオケ演歌三昧になるのですから、人の嗜好は変化するのです。




それでも時にはクラッシックも見に行ったり、聞きに行く機会を作ることで

若い時の感性を失わないようにと思っていたのですから、先ずは

「良いか」、としていたのです。




この度のカルメンでの出演者は日本の歌劇団ですので全員日本人、

しかも地域の合唱団も加わっていましたので150人は超えていたと思います。


芝居のセットはないものの、その歌声や演奏は素晴らしいものでした。

そして私も、もう一度本格的なオペラを鑑賞する機会を作りたいと

思わされたものでした。





しかし困ったものです。オペラはカルメンでした。

オペラの素晴らしさもさることながらカルメンの物語で世俗的な思いが

よぎったのです。



カルメンは言わずと知れた恋物語で、「女性に振り回された男」が振られた

ことを悲しんでついには殺してしまう話ですが、オペラは高尚なものと

位置づけられているものの、ご異論はあるでしょうが、

内容は「オペラも演歌」も表現は違っても世俗そのものなのです。




男女の恋愛感情のもつれは今でも時折事件としてニュースになります。



男でも女でも相手を「振り回す」ことでトラブルが発生します。

感情のコントロールは難しいことです。




「振り回す」というのは「恋バナ」に限ったことではありません。



日常の生活で政治に「振り回される」、「組織や周囲に振り回される」など、

様々な事象で痛い目に合われている人も少なくないと思います。




「40にして惑わず」など、振り回されないよう注意するように先人は

教えているようですが、求めてもいないのに振り回されることもあります。




「人」を「惑わす」のはいつも「人」であると思うとき、結局は

「惑わされないための見識」を高めるしかないということでしょうか。




しかし、カルメンの「振り回し」など恋愛感情には、まさに自分の感情を

自制する力を身に付ける必要があるということでしょうが、

一方では求めていないにもかかわらず社会生活において降りかかる

「振り回し」には、生きていく方便としていたずらに迎合しながら

折り合っていることが事実だったとしても、やはり先見性を見極める

冷静沈着な判断力を身に付けることが肝要と言えるのかもしれません。





少なくても「振り回す」側にならないよう気を付けなければと、

考えさせられたカルメンでした。





最後までお読みいただきありがとうございました






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| セルフマネジメント | 16:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「今日のいっぷく」  日曜版




OSPブログ214号 (楽しくて仕方ない病)2016/2/21



私の住む地域は雪国ですが、今年は積雪も少なく、高齢者の多い周辺では

雪かきの重労働から少しだけ避けられてホットしている方々も多くおられます。

最も、除雪を期待して除雪機をリースしている業者は、仕事にならず厳しい

会社運営にもなると嘆いているようです。




何事も、全ての人がオッケイとはいかないようですが、自然を相手にすると、

様々な対応を迫られる事があると言うことでしょうか。




間もなく春を迎えられると言う気持ちは、人の心を前向きにしてくれます。

特に冬場は、インフルエンザ、ノロウイルスと老若男女を問わず猛威を

ふるうことも珍しくなく、学校が休校になったり、勤務を遠慮させられたり

の状況も珍しくないのですが、したがって病院には患者が増え続け、

院内感染まで引き起こすと言う非常事態にもなります。




春になると、他の病気が出現するかもしれないと思いながら、特に年配者が

肺炎を患うインフルエンザから解放される季節になりますので、

気持ちの負担は少なくなるようです。




さて、病気はリスクと一般的に意識している方が多いと思いますが、

病気に限らずビジネスの世界など一般社会の事象を見ると、

気持ちの負担が大きい様々な要因が発生します。




今日、ある会社の経営者から、「最近、困難な問題が出てきたとき、

困ったと思うことがあまりなくなった。

むしろ、それをどう解決して好結果に結び付けられることができるかと

考えることにより、むしろワクワクするようになっている」と言うお話を伺いました。




思考はポジティブにとか、言葉の言い換えや、気持ちの変換で心を

切り替えることをどちらのセミナーでも説かれるので、意味としては誰も

理解しているのですが、60歳を過ぎた経営者からのこの言葉は、

実感として私に訴えるものがありました。



成功者の多くが同じように云われるのですが、ある意味「極めていく過程」

に直面したような気がしたのです。




生意気な言い方が許されるならばこの方は、物事処理に限らず、

人の生き方としてステージを上げられたように感じたのです。




私も時々苦しいだけの病気だけでなく

「楽しくて楽しくて仕方ない病」と言うものがないだろうか、と思うことがあります。 


困難に直面したとき、これを乗り越えることにワクワクできるこの経営者は、

自信があるだけでなく、心も豊かなのだろうと思うのです。




「切り開く楽しみ」、私もそういう経験をしたいものだと思うのです。




とりあえず、難しいなどと言ってあきらめたり、投げやりになっては

「楽しくて仕方ない病」には、なれないことだけは覚悟した方がよさそうです。





最後までお読みいただきありがとうございました。





| セルフマネジメント | 17:31 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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「今日のいっぷく」 日曜版




OSPブログ213号(「慣れ」の功罪)       2016/2/14



私たちは日々生活を営むときに、何の抵抗もなく自然に発する言動で

物事処理をすることが多くあります。



朝起きて着替えをして顔を洗い、朝食をとり、一日の行動の準備に

取り掛かります。



働くために出勤したり、家事をこなしたり、育児の世話をしたりで、

ごく当たり前のこととして行動します。

何をどうしたらいいか、どうすべきかを過去に学習してきたことで

無意識に行動していることもたくさんあります。


そして、そこにはあまり苦痛は感じないのです。「慣れ」ているのです。




人は何かを目標とし、どうにか達成したいと願うことも多々あります。

その達成には継続が大事と言われます

したがってどうすれば継続できるかを考えます。

それは、継続するのが一般的に難しい課題だということで、どうにか

苦痛を伴わずに継続できないかを模索するからではないかと思います。




「継続は力なり」と言われますが、継続するためには

習慣化することが有効だと主張される方もいます。



確かに習慣化するということは「慣れ」ることで抵抗感が少ない

行動なのかもしれません。




理屈としてはよくわかるのですが、それでも「慣れる」には

どうするかと言う命題にはなかなか答えを導きだせないこともあります。




「慣れる」と言うことは、「人に慣れる」、「行動に慣れる」、

「物事処理に慣れる」、「立場に慣れる」など様々な事柄に当てはまる言葉です。



でもこの「慣れる」と言うことは、なんでも「慣れればいい」と言うことでも

なさそうです。

それは場合によっては「両刃の剣」にもなり、「功罪」がありそうなのです。




例えば、「人に慣れるとは」、コミュニケーションを得意として、

すぐ慣れ親しんで信頼を構築したり、チームに貢献することにもなります。

これはその人の強みの一つですので貴重なものですが、慣れすぎることで

先輩への「ため口」になったり、「傲慢な態度」になってヒンシュクを買って

しまうこともあります。




また、「行動に慣れる」とは、物事を無理なく、

ソツなくこなすことができるようになります。



しかしこの場合もつい、「自己過信」から、失敗してしまうことも出てきます。




更に、「物事処理に慣れる」のはいつもと同じにやった

筈のものが、実はもっと効果的な方法があってライバルにお遅れを

とることもあるのです。




「立場に慣れる」は、政治家など、要職に就いた人が、

「脇が甘い」と指摘されることでもありますが、勝手に「このぐらい

許してもらえるだろう」と判断して発言するときもこの「慣れ」から

起こる現象でもあります。




あろうことか、それが「傲慢」と見られることだと分かっていながらです。




要は、「功」のつもりが「慣れる」ことで「罪」になってしまうことも

あるということです。



したがって考えてみると、「慣れ」を継続して「功」成るためには、

「自制」の文字が伴うということを認識する必要があるのかもしれません。





最後までお読みいただきありがとうございました。





| セルフマネジメント | 14:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「今日のいっぷく」日曜版


OSPブログ212号 (人の器)       2016/2/7



さる1月26日~30日にかけて、天皇・皇后両陛下はフィリピン共和国との

国交正常化60周年に当たり、親善を図り太平洋戦争の戦没者を慰霊するため、

フィリピンを訪問されました。



1941年12月日本軍はフィリピンを空爆し、激しい戦いを繰り広げたとされます。



結果、日本人の戦没者は51万8千人に上りましたが、

フィリピン人も110万人が亡くなられたそうです。(
秋田さきがけ新報)




両陛下は、27日、先ずはフィリピン人の犠牲者をまつる

「無名戦士の墓」に礼拝し、29日、日本政府が建てた

「比島戦没者の碑」を慰霊したということです。




27日のアキノ大統領の晩さん会ではフィリピン人が受けた甚大な被害に触れ

「日本人が決して忘れてはならないことである」

あいさつされたそうです。




ここで、両陛下の戦争の悔恨を推し量ることができます。



フィリピンには未だ訪問したことがない私ですが、英語教師たちなど

フィリピン人の日本人への対応には、何のわだかまりも感じたことがありません。


近隣諸国の、戦後処理や日本国への恨みつらみを耳にすることが多いのに

比べると、フィリピン人の日本人への敵対視をあまり感じないのが不思議と

言えば不思議でした。




戦後、日本兵は戦犯としてフィリピンに拘留されていたのですが、

アキノ元大統領が、自分の妻や子供たちが日本兵に殺されていながらも

戦争の連鎖は終結させたいと、とらわれていた日本兵に特赦を与え、

帰国させたというのです。




ドイツにはヒトラーという独裁者がいました。ドイツ人はその独裁者の

洗いざらいを世界に開放しています。




普通、「目には目を、歯には歯を」と言われるように、個人であろうが国であろうが、

なかなか敵を許すことは難しいと思うのです。



「汝の敵を愛せよ」という言葉もありますが、アキノ元大統領が日本兵を

特赦するとき、国民は大反対したとのことですが、その国民の心情は

理解できるのです。



しかし、それを押しての英断の結果、今は日本とフィリピンは

良好な関係が維持されているのです。





為政者や政治家の多くはとりわけ議会制民主主義の世界では、

国民は為政者に、為政者は国民に迎合しがちです。



アキノ元大統領のその時の国民の意思とは異なったかもしれない信念、正義を

見聞きするとその未来を見る洞察力、大局観など、人間の大きさ、

深さを感じるのは私だけではないと思うのです。




国民の意を汲んだ政治が大事ではありますが、時には、国民を導く力も

為政者には必要だと思うとき、アキノ大統領の器の大きさを感じるのです。




先般から「金と政治」で賑わせている甘利前大臣が会見で、

「どんな相手にも対応しなければ当選しない」の言葉を聞いたとき、

アキノ大統領の「人を導く」姿勢と、保身のために

「選挙民に媚びを売る政治家」とのギャップの大きさに

寂しさを禁じえませんでした。





せめて「優れた政治家」を求める意識だけは、

キチンと持ち続けたいものと思うのです。





最後までお読みいただきありがとうございました。




| 時事問題 | 07:30 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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