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想いを描いて行動する   ~OSP 自己実現支援研究会~

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「今日のいっぷく」  日曜版



OSPブログ211号(負んぶ=女子力)2016/1/31



1985年、職場における男女の差別を禁止し、男女とも平等に扱うことを

定めた法律、男女雇用機会均等法が制定されました。




この法律が出来たことからの現象ではないと思うのですが、

最近女性の活躍には目を見張るものがあります。


昔は「女はか弱い」とか言われましたが、なんのその、

昨今男女入れ替わったかと思われるほどのエネルギーを感じます。




先日、町を歩いていましたら、お子さんを背中に「負んぶ」するのではなく、

前に抱くようにして歩かれている姿をみました。



前に抱くようにしていることをどう表現するのか分かりませんが、

そういえばだいぶ前から目にしてきたように思います。




私が子供のころには母親や祖母の背中に「負んぶ」されていただろうと

思いますが、よく考えると、背中に背負うのは子供の状態を見届けにくい

ことですので、背中よりは理に適っているのだと納得したところです。




それにしても長い時間、「抱いたり」「負んぶ」したりするのは、

子供の体重を考えると重労働だろうと推測するのですが、わが子可愛さ

でしょうか、お母さん達の顔からその大変さをあまり感じることがないのです。



子供のためなら大抵我慢したり、頑張れると言うことでしょうか。

「母は強し」、このエネルギーこそ「女子力」だと思わずにいられません。




たいていの子供は、こんな風に育ててもらったことをあまり頓着なく

成長するのですが、母親には本当に感謝しなければならないことと思わされた風景です。

「負んぶに抱っこ」という言葉があります。



なにからなにまで人の世話になることを指している言葉で、

大人になっても依存心が強い人はこの言葉で揶揄されるのですが、

子供を持つお母さんたちは、いつまでも子供の要求に応じて

「負んぶや抱っこ」をするのではなく、成長過程を見ながら自立に

向けて歩行訓練に入ります。このメリハリには本当に凄みさえ感じます。




一方、「声なきを聞き、形なきを見る」という言葉もあります。

「負んぶ」は背中の子供の様子を良く観察できません。前に抱いて様子を

見るよりは不利であったかもしれない時代でも、母親たちは直観力で

子供の様子が分ったのだと思います。




私は男性より女性は直観力が優れていると最近つくづく思うのですが、

だからこそ「負んぶ」してもわが子の動向を認識していたのではと思えるのです。




とすれば、「声なきを聞き、形なきを見る」とは一般的にリーダー達に求められる

必要資質と言われるのですが、「負んぶ」で訓練した女子力の感性も高めたの

ではないかと思えます。




どなたにも当てはまる話ではないのですが、

「駄目なら止めればいい、とにかくやってみる!」と言う女子力と、

「失敗しないようにするにはどうしたらいいか?」と考える男性とは

そもそも特性が違うのかもしれないとも思います。




女性の直観力・感性と理論や議論好きの男性が補完し合うことで、

物事処理を円滑に進めることができるのかもしれない。


そう思うことで、何やらほっとしている「男の私」です。





最後まで、お読みいただきありがとうございました。





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「今日のいっぷく」 日曜版




OSPブログ210号(食品廃棄物と貧困)      2016/1/24



先日来、食品廃棄物の横流しの問題がマスコミを賑わせています。

カレーチェーンの廃棄カツが産廃業者を経て横流しをされていたとする

不正事件ですが、コンビニなど他業者の廃棄処分にも拡大しているようです。




廃棄依頼は安心・安全な食料提供の視点から当然とする業界の意識に

消費者も安心しているのですが、廃棄を至当とするメーカーの意に反して

勝手に市場に出回るのは許されることでないとは思います。



しかし、この問題は少し深堀する必要もありそうです。



現在、スーパーや飲食店、弁当屋さんなどでは低価格競争を強いられています。

これは、低所得者層だけに限らず、あまりゆとりを感じていない人たちが

少しでも安い食材を手に入れようとしていることでもあるからと思われます。




したがって、仕入れ業者も安いのであれば、深く詮索しないまま買い取って、

安く消費者に提供したい気持ちになるのかもしれません。




一方で、日本では「残飯」などとして廃棄される食品の量は

1年で2189万トン、一人当たり171kgに及んでいるそうで、

日本は世界で一番食べ物を捨てている国だそうです。




ノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイさんが資源を大切に

する意味を持つ日本語「もったいない」と言う言葉に共鳴して、国際語にしようと

呼びかけていることを、訪日の際話されていたことを聞いたとき、誇りと感じた

日本人も少なくなかったのではないかと思います。




いま世界では8億人の人たちが食料不足で苦しみ、年間1000万人の

子供が命を失っているとも言われます。





回の廃棄食品の横流しと、食品廃棄物の量を考えると横流しだけの

問題だけと捉えては、抜本的な解決にならないと思うのは私だけでしょうか。




その上、国内でも食べることもままならない子供たちに、腹いっぱい

食べさせてやりたいとする「子供食堂」と言うのがあちこちに

存在するそうです。ボランティア団体の方々が活動されていると

聞きますが、大量の食品を廃棄する実態とどう整合性が取るべきかと

考えてしまいます。





更に、昨今TVを見ていると頻繁にグルメ番組が放映されていますが、

安価でおいしく食べられるとする料理法などは消費者に多くの知恵を

与えてくれるのですが、庶民には手が届かない高価な食材などを

当たり前のように情報提供している番組はあまり見たくないと思って

しまいます。




何もそこまでひねくれなくてもと言われる方もおられるかもしれませんが、

ましてや特に30代40代で生活が苦しく希望も持てていない若者たちに、

「次世代を頼む」などと言うことのあさましさに躊躇してしまいます。





いま日本で、「豊かさを実感」している人はどのぐらいおられるのでしょうか。




反省しています。せめて今自分にできること、とりあえず食品廃棄物を少なくすること

から始めようと思っています。





最後までお読みいただきありがとうございました。




| 社会問題 | 15:38 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「今日のいっぷく」 日曜版




OSPブログ209号「選択」           2016/1/17



日常的に私たちは事の大小にかかわらず、「決める」という作業に迫られます。

そして「誰が決めるか」、「どう決めるか」でいろいろ悩んだりします。




決め方も、「即刻決める」など決断力に長けた方、「時間をかけて

ゆっくり決める」など慎重派等いろいろなタイプの方がおられます。



しかしすぐ決める方でも状況によってはゆっくり時間をかけられる

場合もありますし、一方慎重な方でも急ぐことについては、側近の方の

意見も加味しながら間違いの少ない決め方を急いで選択されても

いるようです。




「物事の判断は自分でする」ことに執着される方は、他者から見ると独善的と

映ることもありますが、責任の所在は自分にあると他に示していることもあり、

巷の現状をみると組織のトップやリーダーとして「グイグイ」人を

引っ張っていかれる方に多いような気がします。




一方、多くの方の意見を聞きながら結論を導き出そうとするのは安全な

手法と思われますが、多くの意見が単に結論を他に委ねようとするよう

にも見えることもあります。


そんな方々だけの集合体はなかなか物事が決まりにくい環境となります。





いずれにも弱点があり、決断力があると思われる方でも、常に「正しい」とか

「適切」な判断とは限りませんので大きな「リスク」を背負うこともあります。




こんな方は時折独善的な人と言われるときがあります。

もとよりその責任は決断者に帰属することについて承知しているのですが、

もう少し、他の方の意見を積極的に聴ける度量があれば大きなリスクは

避けられるかもしれません。




 一方、なかなか自分で決められない方もおられます。

「リスク」を恐れている方に多いのですが、加えて自分の気持ちと

合致しない場合でもいたずらに「迎合」してしまうこともあるのです。



その決断が適切であれば自分も賛意を表したことを誇張し、

適切な決断でなかった場合は、「本当は自分はそう思わなかった」などと

逃げを打つのは誠に罪深いことと認識しなければなりません。




「決断は自らする」ことが望ましいことは分かっていることですので、

大事なことを決断するに及んで、どのような基準値を確立して置くか

が大事ということになります。





 「適切な判断」を目的とするのなら「求めるものが何なのか」をハッキリさせ、

得るものと失うものとの測りを持つことが有効だということになりそうです。




よくある風景ですが、若いカップルが食事を和食にするか、中華にするか、

イタリア料理にするかなど相談しても、決められない男性の場合

高い評価は望めないかもしれません。





また、一方的に決断した男性には女性の方が自分の意向を聞かなかったと、

「思いやりのなさ」を責めるかもしれません。しかし決めれない男性に対しては

もっと厳しい査定があるような気がしてなりません。





自分で決めないことは楽かもしれません。しかし「自分で決めれない」

と云うことを世間では「優柔不断な人」と云うことがあります。





最後までお読みいただきありがとうございました。





| セルフマネジメント | 14:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「今日のいっぷく」 日曜版




OSPブログ208号(就職試験)          2016/1/10



年も改まりますと、今年はどんな年になるか、どんな年にしたいかなど

頭の中は良い年でありたいと願うだけの私です。




今年は暖冬ですので間もなく春を迎える季節が到来しそうにさえ

感じてしまいます。




いずれは、梅の花が咲き、桜のつぼみも膨らんでくるとき、特に雪国の地域では、

いよいよ春が来るとワクワクしてきます。





春になると、新入社員の入社式などがあちこちで見られることになります。

特に社会人になった青年たちは、明るい表情をしていますので見ている

こちらもうれしくなります。




私も随分前のことですが、面接試験の試験官を幾度か経験しました。

当時はコンサルタント業者のマニュアルを参考に質問したり、自分で少し

工夫して良い人材確保に努めて質問を駆使したつもりであったのですが、

他の職場の方が本人の能力を発揮できたろうと、採用した後

気づいた新入社員もいました。





これは応募者と採用者とのミスマッチと言うことになりますが、学校での

就職対策に同じようなコンサルタントの参考書を利用して指導しているの

ですから、個性を測ることが十分でなく面接のあり方が問題であったと

反省したものでした。





先日、あるサラリーマンから、企業の就職面談で応募者の「夢」を聞く

会社があり、その本気度を秤にかけて採用している例がある

と聞きました。




その会社は仕事はハードだと言うことですが、離職者があまり出ないそうで、

むしろ一生懸命働く社員たちだと言うのです。



そんな社員達ですので、給与も破格らしく毎年応募者が増えていると

言うのです。





給与が高い職場を求めるのは普通のことですが、今は仕事のハードさよ

り労働条件に重きを置く若者も多いと聞いている私は、どう考えたら

いいのかとも思ったのです。





良く聞くと納得でした。確かに労働条件は労働基準法に基づき労働者には

心身健康で働いてもらうものでなければなりません。

しかし、同じ時間でどれだけ効率的に業務を遂行しているかなどを考えると、

必ずしも能力だけの問題でもない場合もあります。




企業は当然利益追求です。しかし、得た利益を社員に出来るだけ還元

しようともします。

会社が成り立たなくなれば元も子もないわけですので、話題になった会社が、

社員に破格の給料を与えているのは

経営者も本気だろうと推測できます。





その会社は応募者に夢を聞いて、その実現に真剣に向き合っているか

どうかを測っているそうです。




人事担当者は、「自分の夢を本気で実現しようとする社員は

働き方も真剣だ」と言うそうです。


加えて「社員には夢を叶えてもらいたい!」とも言ったそうですので、

夢を実現した後に、会社と関わりを持ち続けることも見据えている

のではないかとと私には思えます。





結局、夢に向かうにも仕事を進めるにも、目標設定をキチンとできている

社員たちで構成されている会社であろうと推測しています。





最後までお読みいただきありがとうございました。





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OSPブログ207号(大学駅伝は修行の場)     2016/1/3



あけましておめでとうございます。今年も拙いブログを毎週日曜にアップして

いくつもりですので、時々目を通していただけると嬉しい限りです。




さて正月2・3日は、毎年恒例の「東京箱根間往復大学駅伝」をTV観戦

しております。




今年も昨年に続き青山学院大学が完全優勝しましたが、毎年勝手な独自論を

想定しながら観戦している私です。昨年は選手たちを見て、彼らの力の源は

勿論走者各自の実力に左右されるのは当然ではあるものの、その他選手を

取り巻く関係者たちの支援、特にコーチの指導力に大きく影響されるのでは

ないかと、ブログで書かせていただきました。




これはどんなことでも、どんな世界でも、良き指導者とのめぐりあわせで、

潜在的能力も更に発掘されるとする私の持論でもあります。




今年は走者を見ていて、彼らの苦しい表情や、走り終わった時のさわやかな

顔から、これは「人生の修行とも言える」と思った次第です。




走り切った走者達の達成感、満足感はおろか無念にも望み通り走れ

なかった選手たちを見て、彼らがこれに満足や敗者で終わるまいと

する気持ちが十分伝わってきたのです。




乗り越えてみたり、更に上を目指すであろう彼らを見ると眩しさを感じます。




画面に映りだされる選手たちの苦しそうな顔を見て、なぜそれでも彼らは

走り続けるのか考えたとき、

駅伝には更に自分を高めてくれる要素があると信じているように

見えたのです。




これで屈してしまう自分を許せないのかもしれません。

しかしその前に自分を信じているからだと思うのですが、

それに気付かせた指導者とめぐりあったことも大きな要素と

思っています。



そしてそれが彼らに決してあきらめず、これで終わらせない

大きな原動力になっていると思えたのです。




選手たちは走ることだけでなく、人としての生き方を修行している

ように思えるのです。




確かに彼らはチームが勝つためそれぞれ大きな責任を感じ、

同時に区間賞という個人目標も設定されていることがモチベーションを

持続させているかもしれないのです。




でも人々はみな精いっぱい努力を重ねて生活を営んでいるのですが、

目指すものがありながら頓挫することも多いことを考えると、

彼らにはあきらめずやり遂げる精神的強さも併せ持っている

ように見えたのです。

まさに修行だと思いました。




駅伝の選手たちの多くが、駅伝で終わらずマラソンへのプロセスだと言います。


そこにはオリンピックも視野に入っているのです。もっと高みを目指して

トレーニングしていることになります。



やはり人には目標達成にはひたむきな努力が必要なようです。




そのためこの修行を通して、彼らはきっと、人としても高みに向かって

鍛練を続けるに違いないとTVを見ながら感じ取った次第です。




今日の一言  「修行の行方に嘘はない!」




最後までお読みいただきありがとうございました。

| 自己啓発 | 15:57 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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