ワン ステップ プログレス 

想いを描いて行動する   ~OSP 自己実現支援研究会~

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「今日のいっぷく」 日曜版



OSPブログ202号 (テスト)       2015/11/29



先日、小学5年・中学1年、二人の子供さんをお持ちの奥様と話す機会がありました。

どちらの親御さんも子供の成績は気になるようです。

奥様の話によると、上のお子さんのテストの成績が、9割にもう少しのところに

位置しているようです。


親もいずれ高校受験のことも頭に浮かべることもあるようですが、当の本人が

9割を超える成績でないのを大変悔しがっているようですので、

親は静かに見守るだけにしているとのことです。





ただ、小学生のお子さんはもう少しかな?ということらしいのですが、

中学に入り様々な経験を経ることで飛躍するときも来るだろうとあまり

心配はしていないようです。





二人とも、スポ小・部活でそれぞれ活躍しているとのことですので、

一生懸命の子供を見て信頼しているのだと思います。





私も昔、昔、小学校・中学校・高校で学んだことがあります。私の場合は、

特に中学・高校はほぼ勉強はしませんでしたので、したがってテストは無残なものでした。



勿論後になって後悔することになるのですが、仕方ありません自業自得なのです。





自己弁護ではないのですが、世の中には私のように勉強が

不得手の子供もいるのです。






TVで有名なプロ野球選手が、自分は学業が苦手であったが、

野球では世界で戦ってきた、と胸を張るのを見たことがあります。




スポーツ選手は特に勉強よりトレーニングに時間を費やすのですから

無理もないようにも思います。




彼は学校の成績だけで人生が決まるものではないと言いたかった

のだと思うのです。





確かに人は様々な経験をして人生を切り開いていくのですから型どおりには

行くはずはないのです。

そう考えると、当の奥様の平然とした子育てはむしろ子供への

対応として正解かもしれないと思えるのです。





ところがです。いろいろ話を聞くと、ご主人の中学・高校の成績も芳しくなかったようで、

私に少し似ているところもあるようです。





私も今は子供たちに「DNAなんだよ!」と言われて引き下がるしかないのですが、

若い時は自分が勉強していなかったことの反省から、

子供には「勉強しろ!」と言ったことを思い出します。




奥様のご主人も私と同じく、「もっと頑張らなければだめだろう?」と

激を飛ばすというのです。


そこで当の奥様、子供がいなくなったところで、「あなたの成績に比べてどう?」と

聞くというのですから皮肉です。

「俺はテストが悪かったさ!」とご主人は正直に応えるそうです。




でもそのご夫婦幸いなことにそんなに深刻に考えたり、悩んではいないのです。

成績の悪かったご主人もその後の努力で立派に乗り越えて尊敬される

社会人になっているのです。




成績は悪いより良い方がいいとは思いながらも、

大事なことは「啓発の必要」さえ認識している子供さんに育てれば、

今のテストはともかく、確かな人生を歩めると確信を得ているのかもしれません。




それも踏まえたご主人の「がんばれ!」は、キッと一味違う父親となれるかも

しれないと私には思えるのです。



「教育の原点は啓発の力にあると見て取った!」





最後までお読みいただきありがとうございました。





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「今日のいっぷく」 日曜版




OSPブログ201号(魂の美しさ)     2015/11/22



私のブログの写真は春夏秋冬、更新しております。

私の友人がブログ用にと、その都度旅に出ては被写体を探し、

渾身の作を私に提供してくれるのです。




写真の技術など私には全くわからないのですが、ブログを見てくださった方から、

「良い写真だねぇ」と言っていただいています。

ブログのエッセイより写真に価値があると言う方がおられますので、

皆様にもじっくり見ていただければと思います。





さて、話は変わりますが、「16歳で美しいのは自慢にならない。

でも60歳で美しければ、それは「魂の美しさ」だ」
とMストーブス博士が

言われたそうです。(名言集COM)





私も最近、この言葉に間違いがないと思えるようになっております。

若い時と年を経ての視点とは違うように思い始めました。



どちらが正しいかとかではなく、感性として変わっていくのでしょうか。



昔、鰐淵晴子さんと言う、若く美しい女優さんがおられましたが、

彼女の生涯の姿を想像して高齢までの姿を模した写真集を思い出します。





被写体が若い女優ですが、メイクの力で年々老いていくだろう姿を

撮っているのです。





したがって、着ている姿は勿論、腰の曲がりなどの体型や顔のシワ、白髪など

高齢者特有の姿を想定しての写真集なのです。




この美しい女優さんが老いても美しいと言いたいのか、老いるとは若さを

次第にはぎとられると言いたかったのか、それとも誰もが老いていく姿を

示したいと思ったのか、写真家の意図は分かりませんでしたが、

冬の海辺で強風に煽られてつらそうにしている晩年の鰐淵春子さんの

「創られた」表情を思い浮かべます。





最近、街を歩いていて時折、男女にかかわらず美しい高齢者に出会います。

その都度自分もそうであればと思うのですが、良く考えてみると、

Mストーブス博士が言われるように「魂の美しさ」を感じさせてくれている

からだと思います。





模倣とか想像でのごまかしの老いの姿ではなく、これまで生きてこられた

歴史が造られた顔、姿であろうと思うのです。




どう生きてこられたかなど知る由もないと思いながらも、その穏やかな眼差しや、

他人を排除などせずどなたをも受け入れる姿を感じさせたり、

中傷や悪態などとは無縁であったと思わせる言動には圧倒されるのです。





若い時、その美しさに魅せられて購入した写真集による想像の世界の老いの姿や、

いかなる優れた写真であっても「創られた」ものと真実の違いを判らせてくれています。





写真には写真の素晴らしさが内在されており、被写体には被写体の有り様、

更には見るものの価値観も手伝い、どれがどうとは言えないにしても、

人間の生き抜いてきた顔は言葉では表しようもない大きな感動を他人に

与えるのだとだと今更ながら、感じています。





ブログの写真の友人は、どこに視点を当てるのか、どこに被写体の価値を

見るのかが大事だと言うのが常ですが、本物を探しては私のブログの

ためにあちこちさまようのです。





その都度私は、少し成長した気がします。心から感謝です。





最後までお読みいただきありがとうございました。





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「今日のいっぷく」 日曜版



OSPブログ200号 (怒られるときの対処法)      2015/11/15



先日昼時の話です。横断歩道で信号待ちしているとき、

明らかに飲食店の従業員の方だと思われる、

白衣の料理人スタイル男性二人とウエイトレスと思しき女性の3人連れが

後ろに並びました。食事に行こうとしている様子です。





突然男性の一人が女性に向かって「お前、怒られ方が下手だなあ。

怒られるときの対処法を学んだ方がいいよ!」
と忠告です。

たぶんその男性は、その女性が誰かに叱られるのを目の当たりにして、

慰めていたのだと思います。





失礼ながらそれを聞いていた私は一瞬吹き出しそうになったのです。

なかなか耳にしない忠告内容ですので、刺激的言葉として

耳が受け入れたのではないかと思うのです。





しかし、間もなく信号は青になり横断してしまうと、彼らとの方向が違うことから、

その後の話は聞けなかったのです。





職場では、時折上司との間でこのような光景がありそうです。

上司も「叱り方、誉め方」を研修などで学びながら部下指導して

おられたりします。




難しいとされる「叱り方」については「ほめ方」も駆使しながら対処されている

上司が多いと思いますが、今回の話は「怒られ方の対処法」なのです。

いわば弱い立場の人間の対処法です。





一般的に「叱る」とは、人前で注意しない、キチンと理由を説明する、

相手の云い分も聞くなど、相手を思って理性的にいさめ、注意を与える

ことと言われます。





一方、「怒る」とは感情的に相手を責めることと説明されます

もとより部下指導で「いかに上手に怒るか」などと言う研修はあまり聞いた

ことがありませんので、「怒る方、怒られる方」のいずれにとっても厄介な

問題だと言えそうです。





昔、私も部下と過ごした日々を思い起こします。上司になると部下指導の

むずかしさに遭遇しては悩みます。

しかし考えてみると、自分の上司もこのように悩んだろうと思うと、

その立場になってようやくわかることかもしれないとも思うのです。

そんなこんなで、「怒る」ことについては、「怒られる対処法」と言う言葉が

出てきたのだと思います。





「怒られるときの対処法」を思い浮かべると、相手はひたすら「すみません」を

繰り返したり、「言い訳を駆使」したり、終わるまで「沈黙を維持」したりで

それぞれの対処があるようです。




しかし、考えてみると「感情的に怒っている相手」も皆違うタイプでありますので、

それぞれのタイプに合った対処を考える必要があるようにも思います。


一般的には部下指導で「叱り方」を学ぶのが上司ですが、この場合

部下には「怒られ方」の研修が必要になりそうです。





そう考えると、むしろ一筋縄でいかない部下たちも出てくることを上司は改めて

認識する必要があるかもしれません。

何故なら「怒られている方」がむしろ冷静に相手を観察するようにも

なりますので、精神的に優位に立つ場合もあるからです。


それを見て「怒る方」は、「その落着き」にまた余計腹を立てることにもなりそうです。





「怒る」より「叱る」ことが大事だと言われることの所以かもしれません。





最後までお読みいただきありがとうございました。





| マネジメント | 14:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「今日のいっぷく」 日曜版




OSPブログ199号(垂らし込み)       2015/11/8



先日、絵の好きな友人が「本物と模写」との違いについて、
「本物には書きたいものが隠れていることがあるが、模写は全てを書こうとする。

そこが大きな違いだよね」と言われたのを聞いて

絵心のない私は「キョトン」としているだけでした。





しかし、よく話を聞いてみると、日本画の「俵屋宗達」が創案したと伝えられる

技法の一つ「垂らし込み」と言われるものを私に教えようとしていることを

知ったのです。





どなたもご存知でしょうが、「垂らしこみ」とは色を塗って乾かないうちに

他の色を垂らし、「にじみの効果」を生かすものを言うらしく、

油絵のように、キチンと描かれたものだけでなく、「にじみ」の世界は

あまりはっきり表面には描かないことから、模写には難しい技法であり、

ましてや見る人の想像の世界まで計算された技法だと言うのです。





なるほど、「わびさび」など日本の文化を考えると、「隠れている」とは

見る人の想像までを指すのであり、したがって、

それを模写することなど出来る筈がないと言いたかったようです。





私には、大変難しい話で、料理で言う「隠し味」みたいなものか、

人の隠れた「心の中」などを想定しながら、つい、中途半端に「なるほど」と

判ってもいないのにつぶやく私でした。





時々、DVDを借りて映画を見たりしますが、たまにハッキリ最終局面を見せずに、

観客に「想像させる終わり方」をする映画を見ることがあります。

その後どうなるかは「見る人が想像してください」と言わんばかりに

「完」になるのです。




見てる方は消化不良になる人がいたり、あれこれ想像する人もおられるのですが、

これも同じ手法なのかと思ってしまうのです。





しかし、その手法が更に作品のクオリティを上げる役割を果たすことを

前提に考えると、見てる方によっては、映画の製作者以上の感性で

締めくくる方もおられるかもしれません。





奥の深い話で、私の頭は混乱です。

作家の本当の意図を示さない小説に似ています。





しかし、私にもわかりやすい俗人の比喩をもちだし、「声なきを聞き、姿なきを見る」

などの転嫁で面白くしていただいた方が理解しやすいとも思ってしまいます。





お化粧に余念のない女性も多くおられますが、彼女たちが初めに施す

ファンデーションも似て非なるものでしょうか。




更には一般的に人間同士は互いに期待値をもちながら相対することがあります。

遠慮がちの要望や、こちらに有利な受け止め方をしながら話を進めたりすること

もあるのですが、「本心を控えめにする日本文化」と通じるものがあるのでしょうか。




そんなことをあれこれ考えていると疲れてしまいました。





そこで、栄養補給にと食事をしようとしたら初めに野菜サラダが出てきました。

そうだ、この野菜にも農薬を使わなくても体に良い野菜を作ろうとされている

農家の人もいる。


これも「隠れた価値」としてその技術にも感謝しなければと、分かったような

分からないようなことまで考えて、更に疲れた一日を過ごしてしまった私です。





最後までお読みいただきありがとうございました。







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「今日のいっぷく」 日曜版



OSPブログ198号(ハローウィン)        2015/11/1



10月31日は、イギリス発生と言われるハローウィンと言われるお祭りの日で、

日本でも盛んになってきたようです。





TVや新聞は言うに及ばずその辺の巷でも、大人も子供も仮装して街に

繰り出しては楽しんでいるようですが、私も年かもしれません。

日本の文化とは少し違和感を覚えてもいます。





それにしても、仮装が楽しいのか、騒ぐのが楽しいのか判りませんが、

様々な楽しみ方があるようで、大人も子供も嬉々としているように見えます。




元はと言えば、収穫を祝ったり、悪魔を追い払う行事だと言うことですので、

姿かたちは日本人に慣れ親しんだものではないにしても、

祭りの内容は日本の行事にも共通するものもあることを考えると、

目くじらを立てることでもないとも思えます。





ついでにバレンタインデイを思い起こします。

なにゆえのチョコのレゼントなのか、始めはなかなか理解が出来ませんでした。

折角ですのでいただけるのであればとありがたく頂いておりましたが、

これも「世界各地の男女の愛の誓いの日」と言うことのようで、

何でチョコか?ましてや私達年配者にまで義理チョコとなると始めは

ほとんど理解不可能になったことを思い出します。





ハローウィンもバレンタインデイも結局は商売の戦略に乗せられたと

考えるのが妥当なように思うのですが、しかし考えようによっては両者とも

人々の購買意欲を高め、経済が活発になる現象もつくりだしているとすると、

ある意味「ま、いいか」と言った気持ちになります。

さらに人々が楽しいのであれば大方オッケイと言うことになるだろうと思います。





ただ、この現象を見て気がかりなこともあります。

たとえばこれらのお祭りに参加される多くは小さいお子さんを伴った

若い御夫婦や年頃の男女が多いことです。





最近の国内の経済状況の中で、派遣社員やアルバイトなど若者の賃金が

相変わらず低いのが現状です。




彼等にしてみるとハローウィン、バレンタインデイでの出費も余裕があってのこ

とではないと思ってしまうのです。




したがって楽しみ方もある程度のところで妥協せざるを

得ないのかもしれないのです。





そこで、若しかして眉をひそめてこの様子を見る方々がおられるとしたら、

この様を皮肉に見ることもできます。




それは今の世の中に期待することをあきらめて、楽しめることだけを

探して心を凌いでいるのではないかもしれないと言うことです。





あまりひねた見方をしたくはないのですが、若者には今、

賃金格差是正が必要です。





若い人たちが生きる夢をもってこそ、次の時代を

担えるのだと昭和の私は思うのです。





最も、国内経済の向上があってこそ、企業も対応できるのではないか

とは思いますが、したがって現在の経済の低迷には国政への疑問も持つのです。




お金がなくなれば税金を上げ、借金漬けによる旧態依然と

した国策では、これまでの日本国民の知恵が泣いてしまいます。




そこで優れた政治家が日本には多いと信じることにして、

来年のハローウィン、バレンタインデイは、若者たちが今年より豊かな気持ちを

もてていることを期待したいと思います。




最後までお読みいただきありがとうございました。








| 社会問題 | 17:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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