ワン ステップ プログレス 

想いを描いて行動する   ~OSP 自己実現支援研究会~

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{ 暇なときに見るブログ }


OSPブログ130号 (プロはやっぱりプロなのです)       


年を重ねるごとに、姿・形を気にしなくなる私に、「サッパリ系でお願いします!」

と家族に注文付けられています。


出来れば、朝から晩まで着替えずに時を過ごすのが楽なのですが、一歩外に出ると、

隣近所から始まり、他人との接触もあることから、他人にあまり不快感を与えないよう

にと注意されているのです。


有りがたいやら、面倒やらで複雑な気持ちになりますが、着替えることで確かに自分

の気持ちも緊張しますし、背筋も伸びるようになりますのでそれなりの効果があるの

かもしれません。


そんなこんなで、月に一度、床屋さんのお世話にもなるのです。


往きつけの床屋さんの店主は40代の方です。ご本人も少し白髪まじりになってきたの

ですが、いつも大人の魅力を存分に発揮した「ダンディ頭」で決めています。


そんな彼ですので、客の散髪にも親身に考えてくれますので、私の場合「サッパリ系

で」と云うだけで、ほぼお任せにしております。


そして約一時間彼と会話を楽しむのですが、私の知らない世界の情報も沢山提供して

くれますのである意味貴重な時間となっているのです。



先日も、頭を刈りながら、話し始めました。「今朝5時に起きて生垣を整備して少し

疲れた!」というのです。


「ハサミを使う作業には散髪と変わりがないから、生垣も綺麗に整備されただろうね」

との私のからかい言葉に、「上手ですよ! 近所の方々に褒められます。


散髪も生垣もハサミを使うのは同じですからね」とさり気なく云うのです。


散髪の小さなハサミと生垣用の大きなハサミと同じことと思いにくい私の質問は、

愚問であったと反省したのです。


そして、間髪入れずの彼の答えで、「ハサミの使い方の基本」は同じことなのだ、

となんとなく納得させられたのでした。



さらに店主、「ここ、5年ぐらいプランターでスイカを栽培しているんですよ。


小玉位は作れるようになったけど、大玉がなかなか難しい。

でも大玉が出来るまで頑張りたい」。そう言うのです。


プランターで大玉スイカとは何と大胆なと思った私に、「やっぱり、

農作物の育成は、農家の人には叶わない。プロはプロなんだよねぇ
。」

そういうのです。



「生垣と散髪」、「畑とプランター」。私には大きな違いであるように見える

これらのステージは、その道のプロは同じ土俵と意識していることだと知り、

道を極めるのにはやはり基本が大事なことなのだと改めて教えられた気がした

のです。



彼等が長い時間とエネルギーを費やして得ることができたノウハウです。

プロなのです。





一方私達は、自分に無いものを手に入れるため、その技術の対価として

お金を出して散髪し、八百屋で野菜を買うことになるのです。


しかし、私はそんな彼等にあまり感謝の念を持たずに過ごしてきたように思います。


「金を払っているから当たり前」と奢った心がどこかにあった気がします。


彼らの努力で得た技術の評価と感謝を、改めて思い起こさせられた時間でした。




早速。家に帰り、トマト、胡瓜、茄子、を各2本づつ、庭の片隅に畑を作って植えました。


プロのご苦労と、収穫の喜びを少しは経験できるかと正邪の心が同居して

おります。




最後までお読みいただきありがとうございました。



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| セルフマネジメント | 17:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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{ 暇なときに見るブログ }



OSPブログ129号(自分の育て方) 


時折企業から、「部下の育て方」をテーマにした研修を依頼されることがあります。


「人材育成」は別に企業に限った話ではなく、子育てや学校教育など人と関わる環境

では、いつも話題になるテーマでありますが、実際自分自身をどう育てるかを考えて

戸惑うことも多い私ですので、「他人の育て方」などは更に難しいテーマと受け止めて

しまいます。



部下育成は組織力の構築には重要な課題であり、これに資するためには例えばです

が、「円滑なコミュニケーション」の確立が必要だと一般的にも言われます。


そのため、コミュニケーションスキルの習得に向け、企業も社員研修に熱心になるの

ですが、その有効性については私も同感ですので、自分の研修でも多くの時間を配置

しております。


しかし、このスキルもレベルに違いがあり、高いレベルに達するには大いに難しさも

伴います。



研修者の中には、理論としては十分理解していても、現実には理想通りの展開に持ち

込めず、思い悩んでいる方もおられます。


コミュニケーションは人間関係そのものの構築プロセスですが、お互い感情や環境が

その都度変化しておりますので、理論通りにはいかないことは当たり前と思うのです。


従って、応用力も必要になるのです。結局、そのスキルを身体にしみ込ませているか

どうかがカギになりそうです。


私自身コミュニケーションは得意な方ではありませんでした。

従ってこれまで数々の失敗を重ねてきております。



でも、最近私はコミュニケーションに限らず他のテーマであっても、

前よりも少し自信を持った研修を進めていくことができるようになっております。



結論からいえば、自己啓発の究極は「過去の自分に学ぶ」ことにあると

お伝えしているのです。



「未来は不確か」ですし、「現在は瞬く間に過ぎ去り」ます。


しかし「過去の失敗は確かなもの」なのです。身をもって失敗し、その反省は

身体全体にしみ込んでいるのです。払いようがないのです。

これほどの教材は他にはないように思うのです。



研修では私は自分の失敗をリアルにお伝えしております。出来るだけ具体的事例と

して、いかにして失敗し、どう対処すべきであったかを、如実に伝えることで体感して

もらおうとしているのです。



そして研修の終りには、「失敗を恐れないでほしい。何故なら失敗は自分が

成長するために必要なことだと思うから」と付け加えることにしています。



「経験は最良の教師である。ただし授業料が高すぎる。」とイギリスの思想家

トーマス・カーライルが云っています。(名言集COM)




従って、上司の方には時々で良いのです。部下に「今日も失敗して来い!」、とリスク

を覚悟で云っていただきたいと思うのです。



これこそが部下育成の醍醐味なのではないでしょうか?



山本有三も云ってます。

「若い時に苦い水を飲まなかった奴は、ひだちが悪いよ!」。





最後までお読みいただきありがとうございました





| セルフマネジメント | 21:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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OSPブログ128号(モンテネグロの十戒)           


先日モンテネグロを旅してきた友人から、一枚の絵ハガキをいただきました。

「モンテネグロの十戒」の文字が目に飛び込みます。既にどなたもご存知かもしれま

せんが、私はこのハガキを見て、日本人と違う価値観に、何故かホットさせられたり、

奇異に感じたりで複雑な気持ちになりました。



初めての方のために、十戒の中から、2~3ご紹介したいと思います。


☆「何も仕事をしてはいけない。仕事をすると命を縮める」
☆「休みなさい。休むことで亡くなった人はいない」
☆「たまに仕事をしたくなったら、座って待て、その内その気持ちも消えてしまうから」



これらの言葉をあなたはどう受け止めるでしょうか?


働くことより大事なことがあると云いたいのかもしれませんし、

更には、働き方もいろいろあると言いたいのかもしれません。




大方の日本人は、働くことに大きな価値観を持っていると思いますが、その根底は

勤勉と云われる日本人の文化があるからかもしれません。


勿論モンテネグロの人たち皆が、この絵ハガキ通りではないとしても、国によって

文化・風土がそれぞれ異なるように、この国も日本と異なる文化を持った1つの国

ということだろうと思います。



私は、モンテネグロを訪問したこともありませんし、現地の方とも接触の経験がありま

せんので勝手な判断をしては失礼なのですが、「少しだけ見聞きした範囲での話」

として友人が云うには、モンテネグロの人々は、「自由に使える時間に大

きな価値観を持って」おり、経済的な豊かさを求めた仕事での時間より、

「人との交わりのための時間を大切」
にしているように思える

と云うのです。



事の真偽は分かりませんが、ネットでの様々な意見をみても、友人の云われることと

大差が無いのを見ると、「なるほど!」と納得してしまいます。



働くことが当たり前で、「働き過ぎ」、「過労死」も多いと云われている日本人

ですが
、休暇を大事にする欧米人であっても、「ワーカーホリック」の問題も

浮上している現状ですので、世界のビジネスマンたちがこの「十戒」をどう見るのか知

りたくなります。


確かに仕事でのストレスは病気を誘発しますし、時折何もせずに「ボーッ」としたくも

なります。


「働かざるものは食うべからず」と云われますが、


働いて得ようとするモノの「量と質」に違いがあるのかもしれません。




時折、「定年になったら、ゆっくりするさ!」、一線を退く時のことを描きながらそう

云われる方もおられますが、退職後に多忙を選択したり、更には「生涯現役」を主張

される日本人には、これまでの環境で習性となっている「働く形と価値観」を考えると、

この十戒を受け入れることが難しく感じる方も多いかもしれません。



しかし、この十戒の価値に共鳴され、試してみたい衝動に駆られる方が

おられても、決して不思議なことではないと思うのは私だけでしょうか?




最後までお読みいただきありがとうございました














| 価値観 | 18:24 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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{ 暇なときに見るブログ }



OSPブログ127号(パラグライダー)         


私の住んでる地域には、「くされたまぐら」という方言があります。意味は「何にでも口を

出す人」のことを指すのですが、口だけではなく「手を出す人」にも使われます。


私は若い時から、「お前もくされたまぐらだなぁ」と揶揄されてきました。


確かに私は、好奇心が旺盛なのか、慾張りなのか判りませんが、誰かが何かにチャレ

ンジしているのを見ると、自分もやってみたくなるという厄介な性格だったようです。



したがって、子供のころのあれこれはともかく、社会人になってからでも、酒飲み、

カラオケはもとより、海釣り、ゴルフ、楽器、茶道、座禅、家庭菜園などなど、

何の脈絡もないまま、趣味というか、道楽というか手当たり次第様々手を染めてきたの

です。


そもそもこれが「くされたまぐら」と揶揄された原因なのですが、お見込みのとおり何

一つ極めたものなどないのです。



そんな中で、最近のような暑さや風の心地よさを感じる季節になると、50歳過ぎての

パラグライダー挑戦を思い起こすのです。


同僚から「繋ぎ」も用意したから、一緒にパラグライダースクールに入ろうと誘われたの

です。

その同僚は私より7~8歳も年下ですので、パラグライダー挑戦には違和感が無かっ

たのでしょうが、私はというと、若くもないと思い始めている年齢ですし、ましてや高い

ところが苦手の私だったにもかかわらず、どういうわけか、勢いだけで、「よし、やって

みるか!」と快諾してしまったのです。



海沿いの山の中腹、約300メートル位のところでの練習開始になるのですが、

インストラクターの熱心な指導のおかげで、少しは自力で飛べるようになるからびっくり

です。


高所恐怖症の筈の私ですが、上空から地上を見る景色はまるで絵を見ているように

綺麗なのです。


飛行機ほどの高さでないためか、もっとリアルに感じるのです。田んぼや畑、街並みや

産業集積、車の流れや人々の行き交いに人の営みを垣間見える気分になるのです。


さらに空は青々として、時折、流れる遠い雲にも、若しかして乗れるかもしれないと


錯覚するほどです。


まして海辺の山から飛んでいますので、眼下には海の広がりに際限が無いのです。


海の青、空の青の只中で高所恐怖症も忘れて、ゆらゆら浮いているのはまさに夢心地

になるのです。



しかし突然、地上のインストラクターからの無線で、「気流が良いから一時間ぐらいその

まま楽しんでろ!」の言葉に「はっと」我に返ったのです。


パラグライダー初心者です。真下を見直すとゾッとするのです。ましてや地に足が

ついていないのです。


ふわふわ宙に浮いているのです。

操縦は未熟です。


このままどこかへ飛んで行くのではないか、海に落下するのではないかと意気地の

ない私に戻るのです。




案の定、3日坊主で止めたのですが、時折、「天にも上る気持ち」と、「日常の積み

重ね」それぞれが、日常的に自分にもあったとパラグライダーと重ねてしまいます。



忘れがちだった「地についた過ごし方」を、もう一度考え直させられている

この頃です。





最後までお読みいただきありがとうございました。





| セルフマネジメント | 17:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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{暇なときに見るブログ}



OSPブログ126号(老いない気持ちを保つ法)       


日本人の平均寿命も年々伸びて、80才を超えています。従ってほとんどの方が、昔に

比べると若々しい身体を維持されております。


最近街を歩いていると、後ろからは若い友達同士と思われる女性たちをお見かけしま

すが、通り過ぎて振り向いた時ようやく親子であることが分かることがあります。


親も子も洋服や髪型、体型などほぼ同じなのです。勿論健康維持も念頭に、美しさや

若さへのこだわりもあり、日々の努力を惜しまない結果だと思うのです。


加えて、「動き」そのものもエネルギッシュです。姿かたちを整えて、更にレベルアップ

したイメージを増幅させているのではと推測されます。



そして更に若々しく、美しくなるのです。



「若作り、老け顔」とか姿かたちに年齢を重ねて表現することが

ありますが、現代女性にとって今は「死語」になったように感じます。



一方男の方はどうかと思いめぐらせます。少年時代の同級会に出席すると、若々しい

言動の方もおられますが、時折「年食ったなァ」と思わせる同級生

もいます。



最近私自身、「俺も年だから・・」と年齢を気にした言葉を発することが多くなり、

自分でハッとさせられることがあります。


男女を問わず、若々しく見える人と少しくたびれてきたかな?と思われる人の2タイプ

あるようです。


人生様々な送り方をされている訳ですので、その仕上がりも様々だということになるの

でしょうか?



でも、身体に関して云えば、鍛え方によっては、男女とも老いの時速を鈍行にすること

も出来るのかもしれませんが、問題は気持ちの「老い」ではないかと思うのです



時折、40代、50代の方でも、「武士道の潔さ」の例えから、「俺70まで生きられ

たらそれでいい!」
などと不謹慎な言葉を発する方がいます。


今、90歳、100歳などザラに居られるのです。そんな方は70歳になったら

ご自分で心臓を止めるのでしょうか?



冗談とはいえ生かしてもらえない人たちも多い世の中で、生かしてもらえる命に自ら

制限する言動はどうかと思ってしまいます。



友人に読むことを進められた哲学者、セネカの「人生の短さについて」を思い

起こします。



問題はどう生きるかという命題ですが、少なくても生きてる限り「身体の老い」

はともかく、「気持ちの老い」にだけには「躊躇があってもいい」ように思うのです。



日本の花は「桜」です。「武士道」はパット散る桜の様を「潔さ」と重ねています。


人には、最後まで求め続ける「モノやコト」があります。


武士道のパッと散る「潔さ」と「寿命の制限」とは意味が違うと思うのです。


「潔さ」は「命の放棄」ではないのです。「生きる放棄」でも無いのです。


世の中には、充実した日々を過ごされている方がたくさんおられます。


彼らに共通するのは「果たしたい目的や目標がある事」とお見受けしています。


「夢がある」のです。「夢が気持ちを老いさせない」のです。



あれこれ云い訳は脇に置き、私もその仲間入りをしたいと思うのです。



私は確信を得ています。



「明確な夢を持つこと」こそが「気持ちを老いさせない極意」だと・・・。




最後までお読みいただきありがとうございました。











| セルフマネジメント | 17:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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