ワン ステップ プログレス 

想いを描いて行動する   ~OSP 自己実現支援研究会~

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[暇なときに見るブログ]


OSPブログ121号(寝言でも負けた)              


「何寝言云ってんの?」相手が理解不能な時に返してくる言葉です。

実現が難しい時に「そんな事を考えているのか?」と云いたい時に発せられる

言葉ですが、酒席の場では喧嘩が始まりそうな時もあります。



30歳を超えたころです。自分で言うのもなんですが、私も一応仕事熱心の

つもりの若い時でした。結婚して間もなくです。


朝起きたら妻が言うのです。朝の目覚まし時計のベルに布団の中の私が寝言

で反応し、「ハイ!○○事務所です」と答えたということで大笑いするのです。



それほど面白い話でも有りませんし、寝言は誰でも経験することですが、

それを何十年経った今でもその都度「身ぶりなど、ひと工夫を加えて」他人様に

披露するのですから溜まりません。



「仕事熱心だったんですね!」と仕方なく応える他人様なのですが、

それからの話は俗に云う話の「盛り方」で話を仕上げていく力量は、

私が決して及ばない能力を持っているのです。



私としては「他に話すことが無いのか?」と話題の

貧困さを憂えるのですが、これは単に彼女が「楽しい会話のためのアプローチ」

にしているにすぎないだけなのです。



ところが上には上がいるのです。


妻も自分の友人の話をするのです。

「ウチの主人、寝言でじゃんけんしてるのよ!。その時私もそれに「あいこで

しょ!」と答えてあげるの。

すると寝言の主人も「あいこのしょ」と返してくるので夢の中で「じゃんけん

ぽん」が成り立っているのよ!」
と云ったというのです。



そもそも一般的に寝言と会話するのは身体に良くないと聞きますが、

話の「盛り方」もここまでになるとご婦人たちの話術に感心するやら、

不信になるやらで複雑な心境になっています。



「世の中大変な課題に直面しているのに、よくまあつまらん話で貴重な時間を

使えるな!」と云う私を尻目に「ストレス発散の工夫です。誰もが「笑顔」で

いたいでしょう?」には「ごもっともです」と言って引き下がる自分が益々

情けなくなります。


口で勝てる相手でないことは当の昔から「存じている」にも関わらず、

敗者の憂き目を味わうのです。


そして「俺の方が普通だろう?」と心で叫ぶのが精いっぱいなのです。



挙句の果てに「俺はいったいどうなっているのか」といつの間にか

夫婦の力関係逆転にむしろ自己嫌悪に陥ってしまうのです。




「じゃんけんのご主人」もネタにされていることを知らないようです。

間もなく60歳を迎えようとしているご主人です。



やはりあちらも「妻の方が強いのか」と思ってみたり、「妻の方が

器が大きいのか」と思ったりでかっての企業戦士も形無しだと、

わが身と重ねてしまうのです。
仕方ありません。




私も巻き返しを図るべく、最後に分別臭く云うのです。「私の寝言を話のネタ

に使うのは許すことにする。

しかし話を「盛る」な!盛った話は他人にはすぐ判る。


そこから生まれるのは不信だけということになる!」と云うのですが、

彼女には馬耳東風、聞く耳など無いのです


「やはり俺より器が大きいのか」


と思わされる始末です。





最後までお読みいただきありがとうございました。






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| 信頼構築 | 19:41 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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{ 暇なときに見るブログ }



OSPブログ120号 (トリミング)              
  

いまや携帯やスマホなどで簡単に写真を撮ることができる時代です。


更には、写真を趣味にされておられる方も多いようで、なかではプロと遜色

のない腕前をお持ちの方もおられます。



私の友人に絵画や彫刻など美術関係に造詣の深い方がおられますが、この方

はカメラにもご執心で時々被写体を探しにあちこち旅をされておられます。


光線がどうの背景がどうの被写体がどうのとウンチクがすごいのですが、

子供のころから美術が苦手だった私には、なかなか難しい話で、カメラでも

バカチョンしか持ち合わせていない程度ですので、言葉はともかく内容は

なかなか理解できないのが現状です。



その友人が先日「カメラはやっぱり一眼レフ程度は持たないと良い写真は撮れない!」

と云いながら、一眼レフとバカチョンの大きな違いを説明してくれるのですが、

私にはほぼ理解不能で、判ったそぶりをする自分を彼には申し訳なく思う有様でした。



ところが彼の口から「トリミングでの写真の修正」の話が出た時です。


「トリミング」の意味は「画像の不要な部分を使わない事」だと教えられた

後に、「云いかえると小さく切って全体を想像させるテクニックなんだよ!」

と聞かされた時、写真の奥の深さを気づかされた気持ちになったのです。


無知は私だけかもしれないのですが、「小さく切って全体を想像させる」。


この言葉は私に衝撃でした。


「これは写真だけの話ではない!」。私にはそう思えたのです。



問題を解決する方法に、チャンクアップ、チャンクダウンと云う方法があると

学んだことがあります。


具体の事柄から抽象的な概念を導いてみたり、逆に抽象的なことから具体的

な事象に落とし込むときなどに使う言葉ですが、少しこれに似た作用がある

かもしれないとも思えたのです。



また、もうどなたも経験済みかもしれないのですが、時々夢や目標を定める

ことが難しい時があります。


少し飛躍し過ぎるかもしれませんが、そんな時今関心のある目先の小さな

ことや足元の小さな課題への対応を分析することで、そこから大きな全体像

を夢として描いていくことも可能かもしれないとも思ったのです。



企業において「何を売りにするか?」と議論される話を聞くこともあります。


これは小さなパーツでも、いかに価値あるものとして全体のイメージアップに

活用して行くかとする場合もあるようです。


反対に各パーツが特化していなくても全体のバランスの演出や、一部隠しの

手法で全体像を想像させるというテクニックに昇華させている事例も多い

かもしれません。



結局「トリミング手法」は、「足元や直前の課題への対応と将来の大きな

目的達成」のどちらにも有効で、



想像力という感性を磨くことで、「求める結果を実現できるツール」では

ないかと受け止めるに至っています。






最後までお読みいただきありがとうございました。






| セルフマネジメント | 17:28 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[暇なときに見るブログ]

OSPブログ119号(出口の見つけ方)            


3月も終わりの日、ホームセンターに出かけました。4月から消費税率が8%に

増税する事もあり、多くの方が生活防衛のため必需品を買い求めていました。


そんな中、親御さんと買い物に来られている若者の姿をちらほら見受けました。

耳に入る会話の内容から、大学の入学を控えて、一人住まいのための品を買い

に来られたようです。


親子とも楽しそうな笑顔から、これからの輝かしい未来を胸に生活基盤を整え

ている姿は楽しそうで、見ている私も心で応援していました。



一方で、私は事の成就を果たし得なかった方を思い浮かべていました。

何故なら自分もそんな一人だったからです。あれこれ思い浮かべながら吐露

したくなりました。



私もこの時期上京して日用雑貨の購入をしていました。でも残念ながら希望

の大学は全て失敗し、「浪人させる余裕が無い!」と親に言われて、その後

どうにか入学できる学校を探し出し、辛うじて大学生の仲間になれたのです。


しかし、大学に入学出来た幸せも顧みず一流と云われる大学に合格した同級生

たちをみては、失敗したことの悔しさで挫折感を味わっていたのです。


それが「奢りや努力不足」の結果であると判りつつも、恥ずかしながら片方

では勝手に卑屈な気持を持ち続けていたように思います。


そんな中の買い物ですので、人にはうつむき加減の買い物風景に映ったのでは

ないかと思います。



今では、大学受験の失敗を「挫折」と受け止めた自分の「軟弱」さを情けなく

思えるのですが、当時の私は、気持ちが内向きやマイナス思考になったり、

喜びの友人たちとは距離を置くようになったりで、

「出口のない八方ふさがり」に自分を追い込んでいたようです。


しかし、時を経ていくうち心地よい新たな友人や新鮮な刺激を得て、そんな

学生生活に馴染んでいくのですが、むしろ「自信喪失」も手伝い「投げやり

気分」で勉強にはあまり身が入らない日々になっていました。


そんなある日「下に向かう自分」を思い留まらせた「想い」に出会いました。



私はときどき小学生の自分を思い起こしていました。



私は小学校まで山間の小さな町で生まれ育ちました。どなたもがそうである

ように、元気に遊んでいましたし、勉強も運動も何とか人並みでした。



そんな自分を思い起こしているうち、笑われるかもしれませんが、

「まだ自分にも何かは出来るのではないか?」と思い始めたのです。



子供のころの「怖さ知らずのチャレンジ」を思い起こしたのです。


このときようやく「自分で作った挫折」から脱却出来たような気がします。



これまでもどうにか社会人として過ごしてこられたのは、出口が見えないと

思った時、苦しくなった時などに子供の頃の「怖さ知らずの自分」を思い

だしては乗り越えてきたように思います。



優れた方々を見ると、学校卒業後こそ長い年月勉強されておられます。


更には「挫折こそ強みになる」という方もおられます。


こう考えると、今でも努力次第で「何かが出来るかも?」と思えてしまいます。


私にとって、子供の時の「チャレンジ精神」の思い起こしが

「出口を見つける鍵」だった気がします。



「子供のころの自分に感謝」しています。






最後までお読みいただきありがとうございました。






| セルフマネジメント | 18:56 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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[ 暇なときにみるブログ ]

OSPブログ118号(無駄な明るさ)              


どなたが云ったのか判りませんが、以前、「トイレの100ワット」

と云う言葉を発した方がおられます。

これはトイレには100ワットという明るさは「無駄」だと云ったのです。


今、省エネの時代です。車であっても、家庭であっても明るさもほどほどでないと

全家庭の電力需要を満たすことが出来ないということで、国も地方も、企業も個人も、

風力、火力、太陽光などの発電開発に力を入れる一方で、節電も大いに奨励している

ところです。



それはそうと、「トイレの100ワット」の言葉には、「やたら明るい人」を揶揄して

使われた例もあるようです。



TVでは連日お笑い番組が花盛りです。教育者、ジャーナリスト、政治家など従来

お笑い番組に出演しなかったいわゆる硬い職業と云われたジャンルの人たちも、

今やこのお笑い番組に参加して頑張っておられます。



このことをどう見るかは個人の自由ですが、なにはともあれ国民がこの笑いと明るさ

を求めたい心情だということなのかもしれません。



また、「笑顔に勝るメーク無し」と「笑顔」をコミュニケーション

の武器として名文句を発した方もおられるように、「明るい笑顔」は周囲を幸せな気分

にします。




さらに元来、性格のサバサバさも手伝い、周囲を「明るくしてくれる方々」もおられます

が、彼らを良く観察すると、「ネガティブ言葉をポジティブ言葉に転じる」という特技も

身につけておられるように思います。



同時に早とちりや、飛びやすい話をする方も時にはおられるにしても、それを凌ぐ

「社交性や他人のモチベーションを上げてくれる」特技もお持ちですので、その場も

盛り上がり周囲の方々に感謝されることも多いようです。




また、そこまでは出来ないにしても、意識的に自らも周囲も明るくしようと健気に

「カラ元気」
と云える言動で頑張る方もおられます。

誰もが「明るさ」を求めているのです。



ただ、私のように元来そのような振る舞いが苦手な人がいることも事実です。

「明るくしたい、なりたい」と心で思っても、勇気がなかったり、恥ずかしかったりで

自分で壁を作ってしまうこともあるのです。



やはり人間得手不得手があるということであきらめるしかないかとも思っていました。

しかし先日、そうとばかりは言えないことを知りました。



ある方から「シルバー川柳」なるものの(写し)をいただきました。

出処は判りませんのでどなたかにお詫びしなければと思いつつ一部をご披露したいと

思います。


◆ カード増え 暗証番号 裏に書き

◆ 妖精と 呼ばれた妻が 妖怪に

◆ 「出来ました」 老人会の 青年部




秀作だと思います。心が和みました。大笑いしました。感動もしました


明るい笑いの材料や手法はたくさんありそうです。例えお笑い芸人に及ばないまでも、

明るい周囲を創ったり、自分が明るくなる方法はまだまだたくさんありそうです。



言葉の力をお借りして、私も「無駄でない」明るさを創出できればと思って

います。





最後までお読みいただきありがとうございました。




| セルフマネジメント | 19:17 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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