ワン ステップ プログレス 

想いを描いて行動する   ~OSP 自己実現支援研究会~

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「詭弁?」

OSPブログ112号(詭弁?)                


「家族のために,家庭を顧みなかったのかもしれない」。


先日、友人と昼食を共にしている時のことです。しみじみと云う友人のつぶやきでしたので、

「どうしてそう思う?」とは、何故か聞けませんでした。



私達の年代は、まさに右肩上がりの日本経済発展最中で、世界でも日本が群を抜いた成長を

示していた昭和の時代です。

そして、サラリーマンたちは「企業戦士」と云われ、「男子たるもの、外へ出ると7人の

敵がいる」と云われた時代です。





この言葉は組織の内外での戦いを比喩して云われた言葉ですが、働けば働くほど豊かに

なる構図でもありましたので、家族のため、自分のため、ひいては日本のためと前へ前へと

進めた時代です。
 


友人のその言葉を聞いて間もなく、理容店で雑誌での「人生相談」の欄で、「家庭を顧

みない夫」の文字に出会い、つい友人のつぶやきと重ねてしまいました。
 


相談者は妻なのですが、「子供の教育を妻にまかせっきり、家事を一切手伝わない、

家庭にいる時間が少ない、帰りが遅い、帰ってこない」など枚挙にいとまがないほどです。



一方夫の言い分もあり、「自分が働くことで家庭経済が成り立っている。ましてや単身赴任

など苦しい日々も我慢して働いているのは、結局は家族のために働いている」のだと胸を張

ります。



人生相談は難しい問題です。当然私などは、これに関与できるほどの見識を持ち合わせて

いませんし、どちらに組するなど口幅ったいことなど云える事も出来ません。



しかし、友人の言葉が私の振り返りを導きました。思い起こしますと、私もほとんどの時間を

仕事場で使い果たしてきたように思います。したがって家事はおろか子育ても妻任せです。


その上、夜は酒宴の繰り返しです。当然身体を傷めつけて医者のお世話にもなるとしても、

休みは休みでお付き合い。家庭など顧みることなどしないのです。



したがって、友人の言葉を私は理解できるのですが、今は価値観が多様です。

人によっては、この言葉は「詭弁」に聞こえるかもしれないと思ってしまいます。


「何が正しく、何が正しくない」ということを私は言えないのですが、よく考えてみますと、

根本的な解決にはならないとしても、一つだけ留意する価値があると思われる事に気づいた

のです。


既に実践済みの方が多いと思いますが、それは、「お互いが相手の状況をそのまま素直に受け

止める事」ではないかと思うのです。


「そうか、苦労かけてるね」、「そう、つらいのね」。この双方の「受け入れ」の約束だけ

でも「心の揺れ」を少なく出来そうに思うのですがあなたはどう思われますか?



「そんなに簡単に行くか?」。どなたかの声が聞こえそうです。勿論、これは簡単なこと

ではないのです。


しかし「やってみなければわからない!」、「やってみる価値はきっとある!」。


他人はどう思われるか判りませんが、私にはそう思えているのです。





最後までお読みいただきありがとうございました。



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| セルフコントロール | 16:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「目ヂカラ」

OSPブログ111号(目ヂカラ)               

最近東京浅草に外国人観光客が多く訪れているとのTV放映がありました。雷門では雷神像、

風神像がお迎えします。「悪を許さぬ」神様です。「怖い目」が印象的だと思います。


私の地元にも「なまはげ」という「鬼」がおります。山の神々の使いとして、人々の怠惰

などを諌め、災いを祓いにやって来るのです。「怖い目」をしています。


幼い子供たちは泣きながら「良い子になります」と約束するのです。「目ヂカラ」がある

からとも言えます。



「目ヂカラ」という言葉の定義をPC辞書では、「目の表情や視線が他人に与える印象。

特にその人の意思や内面の強さなどが現れているように感じさせる目の表情、視線自体から

感じる圧力、圧迫感」とありますが、

私は信頼関係構築での「目ジカラ」を少し気にしているのです。


「目は口ほどに物を云う」「目は心の窓」などとよく言われますのも同義かと思いますが、


「訴える目」「愛する目」「慈しむ目」「自信に満ちた目」「励ましの目」など「目」は

多種多様の「チカラ」を持っております。



分かりやすいのは、「喜怒哀楽」が目に出たときです。怒ったり、悲しんだり、きらきら

輝いたり、人は一日中その瞬間々の気持ちを目で表します。


社会生活では誰もが人との交わりを大事にします。

仕事の時は勿論、日常生活でも自分の意思を伝えるための大事なツールとして「目」を活用

します。とりわけ人との信頼関係を構築したい時は、重要とされる「笑顔」が大事なツール

と言われますが、「笑顔」の中でも「目」の役割が特に大きな要因であることは論のまた

ないところです。



達磨相法が「交わりを選ぶは目にあり。目相の良い人(性格の良い人)と選んで

付き合え」と云っているそうですが、含蓄のある言葉だと受け止めています。



人々が目の手術、アイメイク、付けまつげなど様々な手法で、「目」を魅力的にするための

努力をされていることは、「美しさ」だけでなく「好印象」も意識してのことと思います。



しかし、釣り目、垂れ目、一重・二重など「目の形」を変えるだけでは「目ヂカラ」を整

えるのに不十分であることを誰もが知っています。



振り返ってみますと私も、喜怒哀楽での「目ヂカラ」の表現が不適切であったことを思い

起こしています。周囲には「躊躇なく人を受け入れる目」、「人の心を動かす目」、

「自信に満ちた目」、「きらきら輝く目」などをお持ちの方がたくさんおられます。


「目ヂカラも磨いて使えば強みとなる」、

私にはそう見えるのです。そのうえ「心も豊かに見える」のです。


そして私も「そうなりたい」と思ってしまうのです。


更に今では、信頼関係構築での究極の「目ヂカラ」は、自分が相手をどの位「本気で尊ぶ事

が出来るかの気持ち」に比例するのではないかという思いに至っております。




最後までお読みいただきありがとうございました。




| セルフマネジメント | 17:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「チャンスと見れるか」

OSPブログ110号(チャンスと見れるか)                 

「一生に必ず2回のチャンスはある!」

私が大学受験に失敗して沈んでいたときに、尊敬していた義兄が掛けてくれた言葉です。

「もっとも、チャンスに気づけるかどうかの問題はあるけど・・・」次の言葉です。


「2回」の根拠は定かではありませんが、ご苦労された義兄ですので自分のそれまでの

経験から実感した言葉かも知れません。


その時私には、「大学受験で全て決まるのではない。人生トータルなんだよ!」

と聞こえたものです。



いずれ当初の志望校でないにしてもどうにか卒業し、今日まで社会人として過ごしてきた

のですが、挫折しそうな時などに思い起こしていた言葉です。



とは言いながら、チャンスを「好機」と捉えると、これまでも様々なチャンス

があったにも関わらず、生かし切れていなかったことの多さを思い起こします。



どんな事をどんなチャンスと見るかは別にしても、「あの時の行動はちがっていた」、

「あの時動くべきだった」「あの瞬間だけがチャンスだった」など様々な過去がよみ

がえるのです。



 考えて見ると、日常生活で量・質にこだわらないとすれば、チャンスはたくさんある

ように思います。



一つ一つの事柄が自分のとらえようによってチャンスに出来たと思うのです。


何をどうチャンスと見るかは各自の価値観の判断によるとしても

「どうしたらチャンスに出来るのか」、「何を生み出せるのか」など視点を多く持つことが、

チャンスを生かすことにもなり、自己を成長させることにもなりそうです。



例えば、職場での職務遂行で、誰かに依頼されたり,尋ねられたり、任されたりすることで

さえ、それへの対応自体がスキルアップや信頼構築のチャンスかもしれないのです。


更にはそこから嬉しい評価に結びつくかもしれないと思うと、職務への取り組みもチャンス

と位置づけられるかもしれません。



また、私は家事全般妻任せですが、時折「私がいなくなったらどうするの?」などと言

われます。「その時は誰かに頼むさ!」と憎まれ口で応答するのですが、皆目危機管理は

出来ていないのです。

一応今が家事の練習するチャンスと心得ていた方が良いのかもしれませんが・・。

(もっともこれは、妻には内緒のひとりごとです。)



子育てにおいてもそうでした。子供の悲鳴を聞こうとしなかった父親であったようです。

肝心な時に側におらず、子供に寄り添うチャンスを逃していたように思います。
 


職場や、家庭に限らず、考えようによっては日常の出来事に多くのチャンスが存在すると

思うことが肝要なようです。


加えてチャンスを生かすということが、自分だけではなく家族、周囲の人々、更には社会

貢献にまで押し上げていく機会ともなると思うと、もっともっと大きな意味を持つことに

なります。


可能性あるチャンスの存在を察知できる鋭い感性を磨き、少しでも成長出来る

糧にと思いたい私になっています。





最後までお読みいただきありがとうございました。






| セルフコントロール | 21:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「標語の力」

OSPブログ(標語の力)                 


早いもので暦も2月に入りました。初詣で「今年の抱負」などを誓って来られた方の中には、

昨日のことのように感じている方も多いのではないでしょうか。

大学受験、目標の達成、自己啓発など思い思いのことを神頼みや誓いをされたことと思います。


暦とは異なる新年のタイミングもあります。

たとえば役所では4月、企業など組織では決算期という節目に新年として意識されるかもしれ

ません。

いずれの場合もその節目に初詣の誓いのように、新たな標語やキャッチフレーズなどを文字

にして発奮しようとします。

役所であれば公共施設などに「安心・安全」などの標語やキャッチフレーズ、企業であれば

社内に、「ホウレンソウでチーム力向上!」など効果的業務の推進などを目指して、

「美しい言葉、躍動する言葉」などで関係者の目を引くように掲示します。

新しい節目に飛躍を願う気持ち自体は、一般人の新年を迎えたときも組織が節目を迎えた時

も共通の感覚かもしれません。


周囲や関わる人たちが同じ気持ちを共有したり、展望を持ったり、それぞれが気持ちを

鼓舞させるツールとしては意味深い事ともいえます。


実際、標語やキャッチフレーズは個人でも、組織でも、社会でも意識醸成、高揚には有効と

評価されている手法です。




このことは、更なる効果を求めて組織などで表彰制度を設けながら従業員に提案させるとか、

役所でも応募により優秀なものを選考して表彰しているという事実を見ただけでも推測

できます。


ましてや人が応募のためにアクションを起こした段階で、既にある程度の効果が発生して

いると云っても過言ではないでしょう。



私も昔は、自分の信条とか将来像を念頭に、「勇ましい言葉、うっとりするような言葉」

を標語やキャッチフレーズにして壁に張っていました。


もっとも私の場合、一つとして守れた例がなかったのは残念ではあったのですが、それでも

時期になると、日記に目標などを書こうと思うのですから、私にとっても意味あるものと

受け止めているのだと思います。



毎年の挫折の原因は、「達成の基準に成果を求めた」ことでした


結果だけではなく、「プロセス」にも評価を組み入れることがモチベーション持続に大切な要因であると

認識する必要があったのです。


このことはどの世界でも云えることかもしれません。


何を達成値にするかを設定しないまま、標語やキャッチフレーズを作ってみても

未完の気持ちを払拭出来ない場合があります。



大事なことは、進捗度に応じた達成値を測れるよう、戦略や行動計画を明確にすることが

次のステップへの意欲を醸成させることだと気付きました。



言葉には「力」があります。


しかし結果として、「もたらす成果」の認識を持てなければ、標語やキャッチフレーズも

色あせて見えることにもなります。



「求める姿を彷彿させる美しい標語やキャッチフレーズを確かなものにする」ためには、

そこに辿り着く「しっかりしたシナリオ」が必要だと云うことになるのでしょうか?




最後までお読みいただきありがとうございました。



| 組織力向上 | 19:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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