ワン ステップ プログレス 

想いを描いて行動する   ~OSP 自己実現支援研究会~

2013年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2014年02月

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「見た目の価値」

OSPブログ108号(見た目の価値)                
 

最近特にですが、身体には力が無く、服装にもだらしが無くなってきたようで

「もう少し、シャキッとしたら?」
と妻に注意を受ける日が多くなりました。


思い起こしますと私とて若いころは、自分なりに精いっぱい服装や体型、立ち居振る舞い

など全般に気を配りながら、少しでも「カッコいい自分」の演出に余念がなかったのです。


その例として学生の頃は、本屋に通い参考書をどっさり買い込んで本棚に配置し「勉強した

気分」になったり、スポーツを始めるとなると、「プロの服装を真似したり、道具に凝ったり」

で、先ずは「形から入る」ことでモチベーションを高めようとしたものでした。



でも歳を重ねる度に、「見た目」重視はごまかしで、物事の本質は「本物か否か」で決まる

ものだと思うようになったのです。


従っていくら参考書を買いこんでも知識は身につくものではありませんし、メタボを隠しても

隠しきれるものではない。ましてや身体のキレなどごまかすことなど出来る筈もないことを

知ったのです。


従って妻の批判にも「人間見た目ではない、内容だ。どんな格好しようと、俺は俺、俺以上

でも以下でもない!」などと心でうそぶいてみても、「内容だけでなく見た目さえ伴わない

自分」に気づいて更に悲しい気持ちになったものです。



最近「上質なモノが売れるとは限らない」という話をよく耳にします。


如何に売るかは品質以外の視点が必要だというのです。


不器用な私にはそれが何なのか良く分かりませんが、大方五感に訴えた戦略を指さしている

ように思えます。

もっとも「見た目」と「本物」との大きなギャップに遭遇して大いに驚かされることも

ありますが・・・。



例えば「日本料理」をみても、器や様々な模様の美しさや料理の構成力でおいしさを演出

しているものもありますし、「肉汁」が出ている様を見せて肉料理をおいしそうに見せたり

することもあるのですが、これが必ずしもおいしいとは限らないということもあります。


一方では、「見た目」も馬鹿に出来ないということも沢山あります。


結婚願望の若者には、「爽やかさ、たくましさ、誠実さ」など「見た目」も、

(現実はともかく)好感度要素ですし、「化粧上手、仕草上手」の女性も「見た目」

を強く意識しているのです。



更には新入社員の「服装や言動の研修」をされている企業が多いのをみますと、

これも初対面の「見た目」を重視しているからだと思うのです。



また、仕事中の言葉や立ち居振る舞い、文章やプレゼンなど、日常見聞きする様々な分野でも、

「見た目」を重視しながら存在価値を示そうとしている様に出会います。


「本物」が大事とはだれもが承知していても、とっかかりの「見た目」も生きて

いくうえで大変重要だということのようです。



そこで私も、中身の充実には時間がかかりますので取りあえずの行動は、妻からの批判を

避けることも視野に入れ、せめて「見た目」の確保として服装、言動、立ち居振る舞いに

もう一度気配りに留意しようかと思い始めているところです。




最後までお読みいただきありがとうございました。





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| セルフマネジメント | 17:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「成長の証し」

OSPブログ107号(成長の証し)                 


今年は特に寒い日が続くとの予報でしたので、新年早々、あたたかいコートを求めて

ショッピングモールに行ってみました。


ところがコートより私の目を引いたのは、カラフルな「ランドセル」の陳列でした。

品薄になっているとはいうものの、色も各種、値段もピン・キリと私が子供に買い与えた

時代とは大違いの様相でした。



その時私の頭をよぎったのは、子供たちの「成長の速さ」です。

5年前、現在の家に越して来た時に小学生であった真向かいのお子さんが、今や高校生で

ひげも生え、声も、背丈も既に大人です。


人の身体や脳の成長は青年期にはある程度の成熟期を迎えます。その証として、体力的にも

知識力でも数値で成長の度合いを測ることができるようになっています。

そして青年期を超えると体力は後退し始め、学んだ知識も頼りないことになっていきます。


しかし、人間の成長はここからまた新たな始まりがあります。


その後は社会人としてのスキルや能力が、環境や経験を通して磨かれていくことに

なるのです。



思考力、チャレンジ力、統率力など様々な能力、スキルを身につけていくことになります。



時折「大人になったなァ!」とか「磨きがかかってきたねぇ」とか耳にします。

また年齢を重ねることで、「見えなかったものが見えてきた」とか、「難しい局面を乗り越える

適切な対応ができた」などの例も見聞きします。


これは人が年齢とともに成長していく様を称賛している言葉でもあります。


体力、知識力などは数値上で成長や衰退が実証されることで分かりやすいのですが、

社会人としての成長には「測るのが難しい能力、知力」があります。

要は「具体的に測る物差し」を持ち合わせていない能力やスキルがあるということです。



従って人間には「測るのが容易な能力」と、「測るのが難しい能力」の2種類の成長がある

と云うことになるのかもしれません。



広辞苑で「成長」を調べると、「育って大きくなること。育って成熟すること」とあります。


「成熟とは何か」は他に譲るとしても、10年前には無かったものを身につけたと思える瞬間は

どなたも経験しておられると思います。



スキーのジャンプ競技、各種試験など数値で成長が測りやすい能力のように実感があれば、

なお前進する力が増幅することにもなります。


したがって、具体的に成長の証を確認できないものについて早目に手を打つ必要がありそうです。

時折、その「測り」として出来るだけ進捗を数値化することを提案される方もおられますが、

それだけでは得心がいかない場合もあります。


結局は「自分だけの確信持てる測り方」を見つけ出す必要があるのではないかと思います。


「難しい問題ですが、考える価値がある問題」でもあると思います。



「成功したのは偶然ではない、何かができたから何かが出来た」、「その何かとは何?」


そう自分に問い続けることで、「成長の証」に辿り着けるかもしれないとも思っています。 




最後までお読みいただきありがとうございました。

| 自分を知る | 21:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「時を感じ採る」

OSPブログ106号(時を感じ採る)

2014年になりました。「光陰矢のごとし」、昔の人は時間の早さを上手に比喩しております。


子供のころの一年、一か月、一日は今より長かった気がするのは何故でしょう?


昨年はどう過ごし、今年はどう過ごすのか正月には毎年考え始めてはそのうち考えるのを

やめてしまう繰り返しです。


時が過ぎると云うことは人生に残された時間も少なくなっていくということです。大方の

方は、出来るだけ長生きしたいと思っておられるのではないかと思います。


もっとも私などは、「何故生きたいのか」と問われれば「死にたくないから」とか、禅問答

のような答えを口にしそうです。



それでいながら、このままでは死ねないと思っている自分がいるのも事実です。

それでは生きて「何をしたいんだ」と問われても明確なことも言えない気もするのです。


どう生きるかは人によって多様だと思います。「楽しみたい」と思う人「世の中に貢献

したい人」「もっと仕事で充実したい人」など個々人で持つポリシーが違うと思います。


そんな私ですが今年こそは本気で夢を実現してみようと思い始めています。


「何故そう思うか!」、


これまで自分が納得できる生き方をしていないとの思いが強いからと思います。


何であるかは分からないままに「ミッション」を果たしていないように思っているのです。


限りある命ではありますが、自分で終わらせない限り、まだまだ生きなければならない命

でもあります。



平均寿命を80歳だとしても、20代は60年以上、40代は40年以上、60代は20年以上生きる

ことになります。


20代の方は60年で何をするか?40代の方は?60代の方は?と考えると、私にでさえ、何かが

できる時間は残されていると思えてきます。



私は「身体・頭・心」を鍛錬することを目的に、30年以上太極拳を続けています。


おかげさまで、それなりに元気ですし、口で言うほど高齢者の認識はありません。



太極拳では、生涯を「元気なままで100歳まで」をモットーにしております。


「寝たきり、認知症」だけはお断りしたいがための太極拳です。




100歳を基準にしたのは、例えその前に最終章を迎えても、「寝たきりや認知症に関わらずに

終えたい」と思っているからです。




伊能忠敬がセカンドライフに挑戦したのは、「人生50年といわれた時代の50歳の時」です。


同じレベルとはいかないまでも、私自身も自分ですべきことが未だ「何かある、果たして

いない」と思っているのです。


40代、50代の方に比べると残された時間は少ないとはいいながらも、まだ目標のひとつや

ふたつの実現に必要な時間は残されていると思うのです。



100歳人生を5枚切り食パンに例えますと、40代は3ピース、60代でも2ピース残っている勘定に

なりますが、私も20代の方が過ごした1ピース以上の時間を持っていることになります。



最近私は、日々楽しく過ごせています。寝ているのがもったいない気さえしてくるのです。


やはり「夢や目標」は人に「生きる力を与えてくれる」と実感しております。



最後までお読みいただきありがとうございました。







| セルフマネジメント | 17:44 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「ちょっとしたこと」

OSPブログ105号(ちょっとしたこと)             

お陰さまでブログを開設して2年が過ぎました。ブログを始めるにはPCが必需品ですが、

それまでほとんど携わることが無かった私でしたので、PC教室に通い始めるなど苦労の

連続でした。にもかかわらず未だに使いこなせず四苦八苦している有り様です。


昨年暮れ、PC教室で教えていただいたブログへの写真アップ(右上)の操作の一部を忘

れてしまい、何時間も何十回も試みたのですがうまくいかず、暮の忙しい時にも関わらず

若い友人に助けを求めてしまいました。



彼は、私のトラブルを聞くや否やすぐ着手したのですが、即刻解決でした。

説明を聞くとなるほど些細なことではありますが、知らないままの私では決して事が成就

しなかったことなのです。


丁寧に説明しながら彼は言うのです。「ちょっとしたことなんですよね」。


教えていただくと確かに難しい操作ではないのですが、知らないままの私では決して事の解決

にはなりませんし、結果も大きく違うことですので、

私にとっては「ちょっとしたこと」ではなかったことになります。




この「ちょっとしたこと」がいかに大事なことかをしみじみ感じたのですが、同時に良き人

と知り合えて助かったと率直に思いましたし、感謝・感謝でした。


そして今後はPC教室でも大事な視点を見逃すことがないよう、心がけなければとも思わされました。



帰り道、私は恩師の言葉を思い出していました。


中学生の時です。「このぐらいでいいかと思ったら、そこからほんの少しだけ

頑張ってみなさい」と教えられたことがあるのです。




この言葉が友人の「ちょっとしたこと」と重なりました。そう言えばこの「ちょっとしたこと」

は様々な場面でも言えることではないかと思い始めたのです。



「ちょっとしたこと」を「知っているか、知らないか」、「できるか、できないか」、

「しているか、していないか」で、結果に大きく影響を及ぼすことがあるということです




求める結果を得ることが出来るかどうか、損失を小さなものに押さえることができるか

どうかなど、「ちょっとしたこと」の気遣い、気配りが自分の環境を大きく左右することに

なると今更ながらですが思えたのです。



例えばですが、「顧客満足度」という言葉をよく耳にします。お客様の期待に応えて業務

成績の向上を目指す企業などがよく使う言葉です。

観光地の「おもてなし」も然りです。


要は相手に期待通り満足していただくということですが、「ちょっとしたこと」

の気配り、心配りで、相手の期待を超えることがなお大きな感動を与えるのではないかと

思うのです




最近言われる「サプライズ」も相手に喜んでもらうためのものであれば、「ちょっとしたこと」

の範疇かもしれません。



若い友人はPC操作と同時に「ちょっとしたこと」の大事さも私に教えてくれたのです。



これからは「ちょっとしたこと」を「心の中の合言葉」にしようかと思っています。
 



最後までお読みいただきありがとうございました。








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