ワン ステップ プログレス 

想いを描いて行動する   ~OSP 自己実現支援研究会~

2013年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年03月

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受け入れることが寄り添うこと

OSPブログ60号(受け入れることが寄り添うこと)    

 どなたにも大した問題ではないかもしれないのですが、私にとって大きな悩みの一つがやっと切り口が見え始めて最近喜びが増えました。
 
 長い間、どうしてもコミュニケーションスキルで欠けているものがあると感じてきました。

 それは日常生活ではお互い一応配慮しながら会話も交わしていますので生きていく上で、どうしても不自由と思うときはあまりないのですが、もう少しこの人と密接なつながりを構築したいと思っても、前には進めずいつも大きな壁を感じておりましたので、どうしたらいいのか分からず毎日悶々としていたのです。
 

 
ところが先日私のコーチに私のコミュニケーションレベルは、仕事や付き合いについてどうにかこなすことができる程度で、さらにステップアップしなければ更に密接な関係を構築するには不十分だったということに気づかされたのです。

 
今までなんとなくわかるような分からないようなコミュニケーションスキルで推移してきたものに、はっきりした課題を意識させられたということになりました。まさに「目からうろこ」でした。 

 
それは一言で言うと「相手をキチンと受け入れていない」と言うことなのですが、自分は「受け入れている」と思っていたのは思い上りであって、真剣に相手を見ていない、真剣に相手の話を聞いていないことを知らされたのです。 

 
 
人々はよく「相手の立場に立つ」とか言われますし、私自信も頭では「受け入れるということは相手の存在を認めることである」ということだと思ってはいたのですが、これを適切に実践出来ていなかったということになります。

 
「そうか、貴方はそう思うんだ!」と受け止めるだけの話ですがこれが私には難しかったのです。

 
 時として相手の考えを憶測したり、自分の考えと重ねたり、比較や評価を頭の中で往来させた聞き方でしたので、ニュートラルな聞き方にはなっていなかったということのようです。

 
コーチは云いました。「相手にいっぱい関心を持ちなさい、相手の中にあるものを読み取りなさい。相手の本心を見届けなさい」ということでした

 
その方法として相手の話を積極的に聞きに行くことが大事と知りました。アグレッシブ・リスニングと日常では口にしていますが、まったく分かっていなかったのです。


【相手に関心を持ちなさい!】。以来、今日までとにかく相手が何を云いたいのか、どうしたいのかを知るために「相手の話に集中」することから始めております。 


 

  最近ほんの少しではありますが、話す相手の様子が今までとは違ってきたように思えているのは、私特有の自信過剰でしょうか?

 
それでも従来より少し相手にも近づけることができるようになった気がしております。

 
今はこの姿勢を続けることで自分のコミュニケーションレベルが上がれればと、正直毎日わくわくしております。


他人には「他愛もない」と思われるかもしれませんが、私にとっては大きな出来事なのです。
 


   最後までお読みいただきありがとうございました。



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| 未分類 | 17:23 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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言葉の功罪

OSPブログ59号(言葉の功罪)             


最近柔道界や高校の部活での殴るなどの「暴力行為」の是非について騒然としています。
「体罰事例」と同じく「言葉の暴力」についても十分論議する必要があると思います。

 聖書の中のヨハネによる福音書の「はじめに言葉あり」と記されていることを多くの著者が本に記されていますが、「言葉」には人を「生かすことも、殺すこともできる」といわれるほど大きな力があるということでしょう


 身近なところで「伝える力」を実感できるこの言葉も、いわば「両刃の剣」であることを皆認識していることですし、多様な使い方をされているということでもあります。


 「言葉」を功罪の「功」について考えてみると、日常的に我々はコミュニケーションのツールにしていることは勿論、子供や部下の指導、人の動かし方、物事の進め方など、生きるための活力、前進するためなどのツールなどとして駆使しています。
 胸の内で自問自答するセルフコントロールでさえも大きな役割を果たしています。


 また、功罪の「罪」にもこの言葉が大きく作用します。スポーツの指導時のみならず、あちらこちらでいじめや、井戸端会議、風評被害に至るまで、悪意がない時も含めて他人を傷つけてしまう使われ方もしてしまいます。
 
 言葉は、「美しい使い方」「正しい使い方」など提案されますが、その基準はともかく関わる人たちに心地よい使い方でありたいと誰もが願っている事でもあります。

 勿論こんな私もせめて意識の醸成を常に高める努力は怠ってはいけない、と言い聞かせてはいるのですが、なかなか納得できる日々とはなっておりません。

 言葉の素晴らしい使い方については沢山の書籍があります。問題は頭や概念だけ分かってもどのようにして身につけるかが課題とされます。


 関わる方々とどのようにしてお互い高めあえる言葉の使い方にするかは大事なテーマだと思います。

 家族、友人、同僚など、クオリティの高い言葉の共有は、豊かな時間、人生などを構築していくことには間違いのない事実ですので、みんなで有効な活用を研究し合う価値があると思います。


 松下幸之助氏やカーネギーなど多くの著名な方々が「言葉」の力を提唱されておられます。その都度人々は心打たれて、望ましい「言葉の使い方」に取り組もうとされます。


多分、体罰や言葉の暴力を用いてきた方々の多くの方々も、これらの言葉に感動してきた経験はある筈です。

 
 それにもかかわらず「暴力的言葉の発露」は、ときとして感情や、人に対しての尊敬の意識を失念することが原因かもしれないと分析する必要があります。

 私自身も「言葉の暴力」を振るったことが幾度となくあります。

 恥ずかしいのですが、そういう私にも「座右の銘」があり、額に入れて戒めている言葉もあります。これを機にもう一度自分を振り返る機会にしなければと思っています。


最近「言葉の品格とは相手に受け入れられやすい言葉」と思ったりしますが、貴方はどう思われますか?



最後までお読みいただきありがとうございました。





| セルフマネジメント | 07:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「あばたもえくぼ」

OSPブログ(あばたもえくぼ)                

 
 大人であればどなたにもあったように、私にも若い時がありました。

 そして私にも異性を見て心ときめいた青春時代がありました。昔のことです。

 去年のことですが、ある俳優の離婚騒動がワイドショウを賑わしていました。
「別れたい夫」と「別れたくない妻」の話でしたが、なんとなくテレビを見ていた時の話です。
 
 しかし、ふとこの二人も始めのうちはお互い好きあっていただろうにと考えていましたら、突然「痘痕も靨」という言葉が頭に浮かびました。このことで一つ学びました。ワイドショウに感謝です。(笑)


 といいますのも、人は感情の動物と言われるのですが、この二人も始めは気持ちとしては「あばたもえくぼ」に見えていたということかもしれないと思ったのです。

 それが月日が経つにつれ「あばた」は「あばた」にしか見えなくなったということだろうと勝手にですが推測したのです。
 

 その時、少し意味合いが違うかもしれませんが、こういうことは他の場面でも似たようなことが云えるかな?と思い始めていました。

 始めに自分勝手な「思い込み」をすることで、あとあと様々なリスクを抱えることに似ていると思ったのです。

 物事を肯定的に捉えるのか否定的に捉えるのかはまさに「判断力」の問題ですが、「あばたもえくぼ」のように勝手に自分で「思いこんだ」ことにより後でトラブルが発生することがあります。

 例えば、人への過度の期待の「思い込み」、お店の開店や交通機関の時間の「思い込み」、待ち合わせ場所の「思い込み」、常識と思っていることへの「思い込み」など多彩な例が挙げられそうですが貴方にも思い当たることはありませんか? 

 また、私にも当てはまる事例ですが、人によっては時に何の根拠もなく人や物事を「思い込み」で不適切に評価することがあります。

 特に感情や風聞、自分の勝手な基準などを用いた判断で失敗を引き起こしてしまうことがあるのですが、このような重大な失敗は大きな不信感を発生させますので、回復させるまで最低でも5倍以上のエネルギーが必要だということが経験した私の持論です。

 特に誰かのイメージを勝手に決めつけたり、嫌いな人の事は例え他人が高く評価しても自分は否定的に受け止めようとするときなどは要注意のサインだと思ったほうがよさそうです。

 これは信頼を築くのではなく、むしろ更なる不信を抱かせることになりますし、特に風評被害に発展などしてはその人の品格など微塵もなくなってしまうことを覚悟しなければならなくなります。
 

 遅きに失しているのですが、私も、今後、何かを判断しなければならないときは始めに裏付けを取ること、また人の評価についても一部の失敗で全人格を否定するなどという、傲慢な気持ちをもってはならないことを肝に銘じておかなければと考えております。

 「思い込み」には充分気をつけなければなりませんが、むしろ誰に対してでも「あばた」に拘泥することなく、相手の長所を素直に伝える度量を持てるよう努力することが大事だと思っています。



 最後までお読みいただきありがとうございました。













| セルフマネジメント | 22:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「聞き方」で集中力を養う

OSPブログ57号(「聞き方」で集中力を養う)         

 最近、年を経るに従い集中力が低下してきていると感じている私ですが、「同感」と思われている方などおられるものでしょうか。
 
 いわば集中力の程度も持続時間も低下したということなのですが、特に人の話を「聞いている時」が顕著のような気がします。
 家族と話している時、友人と話している時、ましてや仕事で人と話している時でさえ後で何を聞いていたのかはっきりしない時があるのです。
 家族に云わせると「昔からそうだった」と云うことになるのですが、「聞き方スキル」については、ブログやセミナーのテーマにしていることもあり注意しているのですが、まだまだということのようです。

 よく思い起こしてみると、「聞かされている」と感じたり、「聞こうとしていない」自分が時々いるようで愕然としています。 
 

 考えてみるとこれは由々しきことです。会社の朝礼での社長の訓示や、式典での挨拶、政治家の講演などなどキチンと聞いていない時が結構あるのです。

 集中力の欠如は脳の低下が原因かとも思ったりしますが、不思議なことにそれでも「面白い落語」「自分の贔屓のスター」など「関心の深い人の話」は一言一句聞き逃すまいとするのです。

 とすれば、きっとこの「関心がない時」と言うのが私のキーワードに違いないと思うのです。
 結論で云えば自己中心的だと思える自分としては、抽象的には「関心がある」とは「価値観が合えば」と云うことになるのかもしれませんし、具体的にいえば、自分が望む情報であったり、自分の欲望が絡んだときは「聞く」態勢になることが多いような気がするのです。

 結局は自分の望ましい姿に寄与することは「聞こう」とするし、そうでない場合は「聞こうとしない」「聞かされている」と感じているようです。
 
 社会生活を営む上で人との信頼関係を築くには、相手の立場を理解し、何事も「自分を高めるための素材」だと頭では自己啓発意識が必要だと云うことを百も承知はしているつもりではあるのですが。

 そこで今からでも「集中力を高める訓練」として、「聞く」スキルをツールにして挑戦してみようと思っています。

 取りあえず、この一カ月で克服可能な事として3つの課題設定をしました。


1、  相手の求めているものが何か明確に把握することに集中する。
2、 「聞かされている」ではなく「聞こうとする」事を心がける。
3、 「共有出来ることは何か」を探しだすことに集中する。

 なお、「聞くスキル」はコミュニケーションで大事なスキルですので、この際「集中力と聞くスキルの一石二鳥」を目指すことになりますが「先ず一歩から」との想いで行動を起こしてみたいと思っています。

 最も「二兎追うものは一途をも得ず」にならぬよう二兎を得る戦略が必要と思いますが。



   最後までお読みいただきありがとうございました。

| セルフマネジメント | 11:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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