ワン ステップ プログレス 

想いを描いて行動する   ~OSP 自己実現支援研究会~

2012年11月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年01月

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誰にでも100%は求めない

OSPブログ52号(誰にでも100%は求めない) 

政権が変わりました。政治家は国民の負託にこたえるためにも、はじめに国民が理解しやすい将来展望の示し方をしてもらいたいものです。

 一方、私達は私達の責務を果たすために行動するわけですが、その際、政治以外においても周囲の誰かに何かを依頼したり、関わったりしながら生活しております。
 
 先日秋田魁新報の「きょうの言葉」を見て「しかり!」と思ったことがあります。

 「書経」での「相手に完全を求める接し方をしてはならない」という「教え」を記事にしたものですが、「わが意を得たり」と思いました。「政治に関する書」ということですが、政治に限らず、個々人が周囲と折り合うためにも大事な心得のような気がします。
 

 私達は日常、誰かに何かを頼んだり、期待しながら接していることが多いのですが、思い起こすと相手に完全を求めすぎている場合があります。自分の事はともかく相手には100%求めるのです。

 しかし相手もそれに応えようと努力はしてもこちらの期待通りの結果を出せない場合があります。貴方はそんな経験お持ちでしょうか?
その時貴方はどんな気持ちになられたでしょうか?
 

 昔の私を思い起こします。家族でも職場でも、関わる人の多くに対して私の期待は大きいのです。

 しかし、こちらの期待通りでない結果の場合相手に対し、ときには怒り、ときには罵倒し、ときには落胆したりなど抑えきれない感情に陥ったことがあります。

 そしてそれらの感情が交錯することでストレスが多くなり、遂には胃潰瘍で入院したこともあるのです。
何と器の小さい人間かと思います。

 でも入院が私に与えてくれたものがありました。それは「相手に100%求めてはいけない」と云うことでした。
100%の結果を得ることができないこともあることをいつも覚悟しておく必要があるということです。

 自分の胸の内だけの問題ですが、大事なのは不足した場合、次はどう対処するかを常に考えておくかということです。 

 退院後少しずつ実践してみたものの、もとより一朝一夕には克服できる課題ではありませんでしたが、最近ようやく少しは身についてきたかな?と思えるようになってきました。長い道のりでした。
 
 どう人と向き合うかを真剣に考える必要が私にはあります。考え違いによっては人との信頼関係など大事なものをたくさん失わせることになるからです。
 
 いまさらではありますが、100%の結果が出なかった場合でも、尽力してくれた相手と一緒に不足の部分にどう対応していくか、それまでのプロセスにどうその人に感謝するかということに、気持ちを切り替えることで人との新たな信頼を構築できることを知りました。 
 

 この問題は他人への依存症の問題と深く関わり合うものですが、私にとっては今後も避けてはならない二つの課題と受け止めております。


 お恥ずかしいことですが、「自分が絶対と思う驕りだけは持たない」ことが私の大きな、そして重要な課題となっております。


  最後までお読みいただきありがとうございました






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| コミュニケーション | 17:16 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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教える内容知ってても、教え方が分らない

OSPブログ51号(教える内容知ってても、教え方が分らない) 

 親が子に、先生が生徒に、上司が部下になど自分の知っていること、経験で知りえたことを誰かに教えよう・伝えようとしていても、相手が知ろうとしない、聞こうとしないなどの場面に遭遇したことがありませんか?

 また、どちらの立場も経験したことがある方もおられるかもしれません。

「教えられる立場の時」については後で「あの時キチンと聞いていればよかった」などと思い返したりするのですが、「教える立場」の時は「キチンと教えることができたかどうか」と思い悩むことがあります。
 
 あまり「教えられることに意欲的でない相手」に対し、「教える立場の方」はどう対処しているのでしょうか。 

 自分を振り返ってみますと、「教えてもらう時」の気持ちを忘れて、ついついこれで「理解してもらえる筈」だとの思いこみだけで「教えよう・伝えよう」とするときがあります。     

 そして「伝わらない」時、伝える内容を十分知っているときでも、「伝え方を知らない」ということがいかに「意味をなさないかを知る」ことになります。
 
 
 したがって、過去の自分の教えられた時を考えてみることで、どういう心境になれば「教えてもらおう」と思ったか、どういう伝え方をされたら「理解しやすい」と思ったのかを思い起こすことにより、少しは有効に伝えられることもあるかもしれないと思っています。

 基本的に人はいろいろですので、聞く相手ごとに伝え方を工夫しなければならないのですが、たとえば相手が相当なメリットがあると思えるときに「聞く」態勢になる場合を想定しますと、そもそもそれがメリットになるかどうかを判断できるような「情報の伝え方」が先に必要ということになるでしょう。

 要は、話す内容を自分は十分熟知していても、相手にキチンと伝えることができるかどうかとは違う問題だというだということになりそうです。

 にもかかわらず私の場合、自分が理解しやすい手法や云い方で「伝え」ようとするときがありますが、これが相手に伝わらない原因であるかもしれない事を、自分で気がついていないときがあるのです。

 私にとっては難しい課題ですが、どうしても乗り越えなければならない課題でもあります。 
 
 自分は相手のことを思い、また周囲のためでもあると思って教えたり伝えたりしているのですが、「聞いてみよう」とか、「教わりたい」と思ってもらえない原因がやはり「自分にあるかもしれない」と一度は考えてみる必要がありそうです。

 単純に自分が勝手に「伝わった」と思いこむのは「危険」です。

 私自身これからは、自分が知っていることと、伝えることとは同じ土俵ではないことを十分認識しなければと思っています。

 当然ですが、トラブルなどは少ないに越したことがありませんので・・・。


  貴方はどう思われますか? 


  最後までお読みいただきありがとうございました。


| 伝達 | 17:02 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ブログ50号の続き

OSPブログ(云い訳癖からの卒業  続き)  

 さて、「云い訳」ですが、家族や職場で「云い訳は聞きたくない!!」などと相手には云い放ってきた自分を思い起こしますと、人に云う前に自分自身がもう一度「云い訳からの脱却」を図る必要があると思ってしまいます。 

 
 そこで考えました。はじめに、私が云い訳するときどんな言葉を発してきたかを思い出し、「云い訳言葉」とはどういうものかを自分で認識することから始める必要があるということです。      


 自然現象や不慮の事故など誰にも「云い訳」ではないと思える場合を除き、自らの代表的な「云い訳」を思い起こしています。

◆ でも・・。しかし・・。
◆ 忙しかったから
◆ 分かるように説明してくれなかったから
◆ ○○のせいだ
◆ そんなに大事だとは思わなかった


 などなど、枚挙に遑がないのですが、今後はそんな時、先ずは「自分の責任」として受け止めることから始めてみたいと思います。

 
 さらに「言い逃れ」と云う言葉もあります

責任をとりたくない時の逃避も似た状態かもしれません。

 そんな自分を考えると「この決心」を少しだけ誇らしく思えるような気もしますが、本当はこれが問題なのかもしれませんね・。                              
                                            (了)


   最後までお読みいただきありがとうございました。






| セルフマネジメント | 22:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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言い訳癖からの卒業

OSPブログ50号           

 突然ですが、貴方は「云い訳をしたり、されたりした経験」をお持ちでしょうか。
 
 私は正直いずれも多く経験しております。どちらの場合も決して心が晴れ渡っている状態になっておりません。
 
 
 特に自分の「云い訳癖を卒業」したいと何度も思いましたが、残念ながらなかなか合格点に達しておりません。

 私の「云い訳人生」を振り返ってみますと、当然にも「失敗」が生じたとき多く発生するときの現象なのですが、とにかく自分に「責任がない」事を誰かに納得させるため、失敗の原因が自分にはないことの説明する手段を一生懸命探しているのです。 

 
 更には、事前に失敗したときの弁明を考えていたりする自分に気がついたときなどは、人としてのレベルを思い知らされることになります。 


 確かに生きていく上で、自分の身を守るため「云い訳」を用意する必要がある場合もあるかも知れないのですが、巧妙な云い訳材料を必死に整えるという行動にはむしろ失うものの方が多かったと思います。         

 保身のための「云い訳」は、上手くその場を逃れたと思っても、相手の信頼を失ったり、前に進めるチャンスを逃したりで、益するものはあまりないように思います。                         


                               
                                   続きは明後日に・・・。



| セルフマネジメント | 16:27 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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へこんだ時の対処法

ブログ49号(へこんだ時の対処法)            

 世の中、選挙一色です。誰に、そしてどの党に投票するかは国民それぞれの基準によりますが、私の場合少なくても、出来るだけ感情移入は少なめにと考えています。

 今の政治はなかなか先が見えず混沌としています。国民は「一体どうなるんだ」と歯ぎしりしています。そこで考え始めました。

 こんな世の中だからこそ、誰にも大事なもう一つ、「自分を確立する」ことに軸足をもう少し重くしてはと思ったのです。

 私のように依存型で生きてきた者にとっては今、自分の基盤整備を急ぐ必要がありそうだからです。

 しかしそれに対して私には大きな課題があります。

 
 それは何か?目標立てて頑張って実行してはみるのですが、達成できずすぐに「へこんでしまう」時があるということです。しかもそのままグダグダと時間を過ごしてしまうのです。

 
 この現象を私なりに分析してみました。100%の目標達成できないときその症状が顕著に表れるようです。そこで私は例えばですが何故「70%も出来たではないか」と思えないのかということを自分に問いかけてみました。

 
 結論は多分自分を過信したり、うぬぼれが為せる技かなと思いあたったのです。すなわち自分を知らないのです。そして勝手にストレスの原因をつくっているのです。 

私にはこの「へこんだ状態」から早く脱出する術を身につける必要があります。

 確かに前に進むには痛みが伴うことがありますので、「出来れば今のままで」と考えやすい私でしたが、先日、ある方の紹介である講座に参加する機会を持てました。

参加者の方々のエネルギーを目の当たりにした時、自分も
「へこんでいる場合じゃない」と思いました。



その時私の頭の中を様々な言葉が駆け巡りました。

「出来るか出来ないかではなく、やるかやらないかだ!」
「結局は本気で生きていないのではないか!」
などなど自虐の言葉が頭の中で行ったり来たりしたのです。



極めつけは「結局おまえは何をしたいのだ?」 でした。
つくづく思います。へこんでいては前に進まない。何もしないことは害にもつながり、自分を後退させます。更にはせっかくの自分の成長の機会をも失っている。

もう一度頭の中です、「おまえはいったいどうしたいというのだ」。

 その後不思議なことに、知らないうちに何故かモチベーションが上がっているのです。

「刺激と変化へのセルフコントロールが自分を変えてくれたかな?」と思っています。
「こんなモチベーションの上げ方もあったのか!」。恥ずかしながら私の発見です。

「人間様々なところで生かしてもらってるんだ」と思いました。

そして思います。私に講座を紹介して下さった方、そして講座に参加させて下さった主催者にこころからお礼を云いたいと思います。感謝です。良い出会いでした。ありがとうございました。
 
 


最後までお読みいただきありがとうございました。




| セルフマネジメント | 16:26 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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人が育てば組織も育つ

OSPブログ48号       

少し前になりますが、「そこまでの余裕がない」とか、「ウチはキチンと出来てる」などと言いながら、社員等の研修に関心の薄い企業も結構多かったのですが、経済も疲弊してきている昨今、研修の必要性を真剣に考える企業等が増えてきたように思えます。

 しかし社員等の研修を開催できる企業等はまだ幸せですが、「そこまでは無理」としている企業等が少なからずあるのは残念です。

 私も若い時様々な研修を受けてきましたが、その経験を顧みながら、私なりに気付いた事を書いてみたいと思います。

 研修の形態は、管理者研修や一般職員研修など職階別の研修、営業職や企画力の業務別研修、様々な専門的な技術研修など多彩に繰り広げられているようです。

 この中で技術的な研修は即効性がありますし、即戦力として貢献することができますので研修効果として実感しやすいのですが、いつも問題になるのは部下指導や、組織力強化、マネジメント、コミュニケーションなど、いつでもどこでも必要とされているスキルアップのための取り組みについては、前例主義とか、部課長の指導任せで推移してきた組織も多いのではないかと思います。

 しかし今や時代と環境の変化は多種多様なスキルを必要としています。

 実際、人とのかかわりが大きいこれら普遍的ともいえるスキルに対しては、多くの人たちはその必要性を十分認識していながらも、本人も、経営者もあまり具体的措置をとっていないところもありそうです。

 したがってたとえばですが、今まで同じ立場で同じ仕事をしてきた人たちの中で、突然一人が管理職になったとしますと、その人は管理職として何をすべきか、そのため必要なスキルは何なのか戸惑うこともあるようです。

 名ばかりの管理職になって、業務は今まで通り皆と同じ仕事を平等に遂行しているだけの人に対し、上司が「部下も育てられない、業務管理も出来ない、チーム力も発揮できない」などと小言を並べてもその訓練が出来ていないのですから、無理はないのではないかと思えてしまいます。

 この、普遍的ともいえるスキルは一朝一夕に身に着くものでなく、不断の学びがあって奏功するものだと思います。

 多くの経営者や部課長さんに、たとえば「あなたの会社・部署のコミュニケーションのあり方はどうですか」の質問に大概は「ウチのところは上手くいってるよ。みんな仲が良いし」と言われます。

 確かに良好といえるコミュニケーションをとれていたり、部下の育成も順調な組織もあります。しかしどちらかというとそう断定できない組織の方が多いように思っているのは私だけでしょうか。

 その証拠に、そこに所属する一般社員に同じ質問をすると「とんでもない!」などの答えが多いことや、上司とのコミュニケーショントラブルで転職されている方も実に多いのは何故でしょうか。

 研修を重要な事業と位置付けていただきたいと思うのです。

 そしてさらに大事なことは、人を育てるには頭で分からせるだけでなく確実に行動を起こさせなければならないということだと思うのです。

 これが大変大事で最も難しいことですが、是非真剣に取り組んでいただきたいと思うのです。そのためには研修制度を確立することが先ず有りきだと思うのです。

 「企業は人なり」と云いますがどんな組織でもその発展は、結局は「人が創るのだ」と私は受け止めていますが貴方はどう思われますか?
 

  最後までお読みいただきありがとうございました。















| 組織力向上 | 22:42 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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