ワン ステップ プログレス 

想いを描いて行動する   ~OSP 自己実現支援研究会~

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「今日のいっぷく」=日曜版



OSPブログ258号(今晩、何食べたい?)    2017/5/28



 病気の私に配慮してと思いますが、朝食が済むと、「今晩、何食べたい?」
と妻が毎朝聞いてきます。


せめて食べるものは好きなものをと思ってくれているのは分かるのですが、
残念ながらこれという「食べたいモノ」は思い浮かばないのです。


もともと、「食」についてはあまり関心がなかった私でしたし、勿論美食家でも
大食家でもない上に、病気で食欲もあまりなく、味覚も鈍っているとなると
答えることが出来ないのが現実なのです。


でも、不思議なことに、中には「ところてんやソーメン」など、あまり栄養価が
高いとは思えなくても、のど越しが良かったり、濃い味の料理は食が進む
こともありますので、それに応えてやりたいと思っているようなのです。




「足るを知る」という言葉が好きですが、あまり欲張らずに幸せを感じられたら
いいと思いながら過ごしてきた人生ですが、食に関してもそんなに欲望は
もてないのです。




それにしても、最近はグルメ花盛りで、おいしいものを写真でフェイスブック
にたくさん乗せられる方がおられます。


また、毎日のチラシにもおいしそうな写真が載っています。


実際私も見ていると脳が、「お!うまそうだな!」と思うのですが、
残念ながら、足を運ぼうとか、宅配してもらおうなどとまでは思わないのです。




食に関心のない人間がいる、家族はかわいそうと思うようになりました。



私は食べたくなくても、家族は食べたいのではないかと思うのです。




もともと勝手な人間でしたので、自分の事しか考えずに何が食べたい
などと言わなかったのですが、医者には栄養を取ってくださいと言われて
いることもあり、あれこれ工夫して食事の世話をしてくれている妻に、
せめて今からでも、多少の気配りをしてあげなければと思い始めたのです。


私にとっては大変な進歩です。




「よし、ステーキにしよう!」とか、「お寿司にしよう!」というのですが、
いざ食べ始めるとあまり私の箸が進まないのです。



次第に、私が食べたいモノだけになります。それでも、あれこれネットで
体に良いものを調べて作っていますので、感謝しなければならないのです。




したがって、最近は自分の身体の事もあり、無理をしてでも
口に運ぶことにしています。




心なしか、体力は上がっているようにも感じるのですが、いつの日か、
妻が本当に食べたいものを好きなだけ食べさせてやりたいと思う
ようになっています。


「養生」。自分の身体を回復させるのが先決なようです。





最後までお読みいただきありがとうございました。






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「今日のいっぷく」=日曜版



OSPブログ256号 (柿の木サラバ)        2017/4/16




私が今の家に転居したのが9年前でした。

以前の家にはもう少し広めの庭があり、実のなる木々もキュウイ、アケビ、
グミ、スグリなど、私が幼い頃馴染んだものを、子供たちにも触れさせたい

と思い植えたのですが、残念ながらファミコンに夢中の子供たちは寄り付き
ませんでした。 



今の家に転居したとき、実がなる木の中で、柿の木だけは移植して
もらったのです。



これまでも依然の家同様、沢山実らせ私たちの味覚を楽しませてくれて
いたのですが、先日思い切って抜いていただいたのです。



転居するとき、柿の木を低木にしていただいたのですが、幹は太く
しっかり根を張って逞しい木になっていたのです。


私の人生もこのように根がしっかり張ったものでありたい、と思うことも
ありました。



低木の理由は、柿の実は干し柿にもできますのでほとんど食用として生かす
のですが、3~4個は取らずにそのままにしておくのです。


要は家の中から冬の雪景色の中で、木についてる柿の実を見て、
昔の歌人はワビサビを思いめぐらしながら何を感じ取っていたのかなどを
推測しようとするのですから、私も無礼な人間であったかもしれません。



柿の木を抜いた理由は、落葉にあります。


初冬を迎えるころは柿の葉が落ちていきます。

ご存じのように木の葉は、手の平ぐらいの大きさですし、ぬれたときなど
日がさしてキラキラ輝くこともあるにしても、地べたに張り付いた葉は、
いくら掃いても容易に取れません。



また、乾いた葉は、風が吹くと近所の軒先まで浸食し、その都度謝りながら
「うちの葉がお邪魔してしまって」と謝って歩かなければなりません。



それも、隣の家ぐらいであれば、まだしも遠くに飛ばされた葉は、名前を書いて
いないとはいえ、町内の人は私の柿の葉だとすぐ推測できます。



高齢の私です。なかなか葉の処理までは難しくなったのです。


そこで思い切って、長年家族を楽しませてくれたこの木を抜いたのです。


以前の家から数えると、20年近いかもしれない柿の木です。
業者の方にはいい柿の木なので、植採希望の人を探してくださるよう
お願いしたところです。


それにしても、抜いた後はやはり寂しいものがあります。


お世話になったのです。良い思い、楽しい思いもさせて
くれて感謝しているのです。


スカスカになった空間です。


業者が庭のバランスを考えて今度は常緑樹を植えてくれると言っています。

心を豊かにしてくれる樹木を期待しているところです。





最後まで読みいただきありがとうございました。





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「今日のいっぷく」 日曜版




OSPブログ252号(ファミレス)    2016/12/25


先日久しぶりにファミレスで昼食をとる機会がありました。


何年振りか分からないほど入ったことのないファミレスでしたが、
若い時を思い出し、懐かしさを感じていました。


店は、ほぼ満席で、親子連れ、女子グループが多く、どこへ行っても
「男は押されっぱなしだなア」と思った次第です。



さて、私も店名は異なるにしても、若い時、子供連れでたまに利用させてもらった
「ファミレス」ですので、品数の多さ、値段のリーズナブルには、随分助かったもの
でした。



外食を喜ぶ子供たちもそれぞれ、好きなものを注文するのですが、
給料の安かったサラリーマンではありながら、ハラハラせずに
利用することが出来ると思ったものでした。



12月はボーナスの季節です。クリスマス、お年玉と親御さんには、
何かと物入りの季節ですが、子どもの喜ぶ顔が見られるこの季節に
ファミレスは大きな存在であるかもしれません。



私の時代とは異なり、今は若い家庭であっても、ファミレスより高級レストランに
行かれる方も多いかもしれませんが、私にとっては、ホッとする場所であったと
思いながら、周囲を見回していました。



家族そろってファミレスで食事をとれるのが至福の時でもあったのです。



安月給時代を思い出します。子供たちが小学生のころ、妻が奮発して
マグロの刺身、「トロ」を買ってきて子供たちに分け与えたことがあるのです。



上の子はそれがうれしくて、その「トロ」を最後に食べようと、
なかなか箸をつけないで我慢していたのです。



その時、私は全く頓着なく、子供の分の「トロ」を食べてしまったのです。
事件になりました。最後の楽しみにしていた「トロ」です。
娘の怒りが収まりません。



「今度買ってきてあげる」などと言う言葉など、まったく受け付けないのです。



今でも、時折笑いながらの話題になりますので、「好きなだけ食べさせてやる」
と言うのですが許してもらえません。

「食い物の恨み」は怖いのです。

私も高齢となりました。今、家には日用品で不備の物はあまりありません。

ほぼ手に入れています。若い時からコツコツと買い求めてきたからこそ、
今の暮らしが成り立っていることを思うと、安月給のサラリーマン時代に、
あきらめたり、我慢したりではあったものの、どうにか暮らしは成り立ってきたの
だと実感します。



10年ぐらい前だったでしょうか。若い女性が100円ショップは大変重宝する
と言ったのを聞いて、「さもありなん」と納得させられたことがあります。



その時、「何が欲しいの?」との私の質問に、「みんな欲しい!」と答えられた
ことを思いだします



「頑張ればだれでも、必要なモノは手に入れられるよ!」、そう言いたくなった
のを今でも覚えています。





最後までお読みいただきありがとうございました





| 雑感 | 10:45 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「今日のいっぷく」  日曜版



OSPブログ211号(負んぶ=女子力)2016/1/31



1985年、職場における男女の差別を禁止し、男女とも平等に扱うことを

定めた法律、男女雇用機会均等法が制定されました。




この法律が出来たことからの現象ではないと思うのですが、

最近女性の活躍には目を見張るものがあります。


昔は「女はか弱い」とか言われましたが、なんのその、

昨今男女入れ替わったかと思われるほどのエネルギーを感じます。




先日、町を歩いていましたら、お子さんを背中に「負んぶ」するのではなく、

前に抱くようにして歩かれている姿をみました。



前に抱くようにしていることをどう表現するのか分かりませんが、

そういえばだいぶ前から目にしてきたように思います。




私が子供のころには母親や祖母の背中に「負んぶ」されていただろうと

思いますが、よく考えると、背中に背負うのは子供の状態を見届けにくい

ことですので、背中よりは理に適っているのだと納得したところです。




それにしても長い時間、「抱いたり」「負んぶ」したりするのは、

子供の体重を考えると重労働だろうと推測するのですが、わが子可愛さ

でしょうか、お母さん達の顔からその大変さをあまり感じることがないのです。



子供のためなら大抵我慢したり、頑張れると言うことでしょうか。

「母は強し」、このエネルギーこそ「女子力」だと思わずにいられません。




たいていの子供は、こんな風に育ててもらったことをあまり頓着なく

成長するのですが、母親には本当に感謝しなければならないことと思わされた風景です。

「負んぶに抱っこ」という言葉があります。



なにからなにまで人の世話になることを指している言葉で、

大人になっても依存心が強い人はこの言葉で揶揄されるのですが、

子供を持つお母さんたちは、いつまでも子供の要求に応じて

「負んぶや抱っこ」をするのではなく、成長過程を見ながら自立に

向けて歩行訓練に入ります。このメリハリには本当に凄みさえ感じます。




一方、「声なきを聞き、形なきを見る」という言葉もあります。

「負んぶ」は背中の子供の様子を良く観察できません。前に抱いて様子を

見るよりは不利であったかもしれない時代でも、母親たちは直観力で

子供の様子が分ったのだと思います。




私は男性より女性は直観力が優れていると最近つくづく思うのですが、

だからこそ「負んぶ」してもわが子の動向を認識していたのではと思えるのです。




とすれば、「声なきを聞き、形なきを見る」とは一般的にリーダー達に求められる

必要資質と言われるのですが、「負んぶ」で訓練した女子力の感性も高めたの

ではないかと思えます。




どなたにも当てはまる話ではないのですが、

「駄目なら止めればいい、とにかくやってみる!」と言う女子力と、

「失敗しないようにするにはどうしたらいいか?」と考える男性とは

そもそも特性が違うのかもしれないとも思います。




女性の直観力・感性と理論や議論好きの男性が補完し合うことで、

物事処理を円滑に進めることができるのかもしれない。


そう思うことで、何やらほっとしている「男の私」です。





最後まで、お読みいただきありがとうございました。





| 雑感 | 17:05 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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「今日のいっぷく」 日曜版




OSPブログ199号(垂らし込み)       2015/11/8



先日、絵の好きな友人が「本物と模写」との違いについて、
「本物には書きたいものが隠れていることがあるが、模写は全てを書こうとする。

そこが大きな違いだよね」と言われたのを聞いて

絵心のない私は「キョトン」としているだけでした。





しかし、よく話を聞いてみると、日本画の「俵屋宗達」が創案したと伝えられる

技法の一つ「垂らし込み」と言われるものを私に教えようとしていることを

知ったのです。





どなたもご存知でしょうが、「垂らしこみ」とは色を塗って乾かないうちに

他の色を垂らし、「にじみの効果」を生かすものを言うらしく、

油絵のように、キチンと描かれたものだけでなく、「にじみ」の世界は

あまりはっきり表面には描かないことから、模写には難しい技法であり、

ましてや見る人の想像の世界まで計算された技法だと言うのです。





なるほど、「わびさび」など日本の文化を考えると、「隠れている」とは

見る人の想像までを指すのであり、したがって、

それを模写することなど出来る筈がないと言いたかったようです。





私には、大変難しい話で、料理で言う「隠し味」みたいなものか、

人の隠れた「心の中」などを想定しながら、つい、中途半端に「なるほど」と

判ってもいないのにつぶやく私でした。





時々、DVDを借りて映画を見たりしますが、たまにハッキリ最終局面を見せずに、

観客に「想像させる終わり方」をする映画を見ることがあります。

その後どうなるかは「見る人が想像してください」と言わんばかりに

「完」になるのです。




見てる方は消化不良になる人がいたり、あれこれ想像する人もおられるのですが、

これも同じ手法なのかと思ってしまうのです。





しかし、その手法が更に作品のクオリティを上げる役割を果たすことを

前提に考えると、見てる方によっては、映画の製作者以上の感性で

締めくくる方もおられるかもしれません。





奥の深い話で、私の頭は混乱です。

作家の本当の意図を示さない小説に似ています。





しかし、私にもわかりやすい俗人の比喩をもちだし、「声なきを聞き、姿なきを見る」

などの転嫁で面白くしていただいた方が理解しやすいとも思ってしまいます。





お化粧に余念のない女性も多くおられますが、彼女たちが初めに施す

ファンデーションも似て非なるものでしょうか。




更には一般的に人間同士は互いに期待値をもちながら相対することがあります。

遠慮がちの要望や、こちらに有利な受け止め方をしながら話を進めたりすること

もあるのですが、「本心を控えめにする日本文化」と通じるものがあるのでしょうか。




そんなことをあれこれ考えていると疲れてしまいました。





そこで、栄養補給にと食事をしようとしたら初めに野菜サラダが出てきました。

そうだ、この野菜にも農薬を使わなくても体に良い野菜を作ろうとされている

農家の人もいる。


これも「隠れた価値」としてその技術にも感謝しなければと、分かったような

分からないようなことまで考えて、更に疲れた一日を過ごしてしまった私です。





最後までお読みいただきありがとうございました。







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